H17. 3. 9 東京高裁 平成16(行ケ)5 特許権 行政訴訟事件

平成16年(行ケ)第5号 特許取消決定取消請求事件
口頭弁論終結日 平成17年3月2日
                   判決
  原        告  株式会社前川製作所
  原        告  株式会社ジャパンエナジー
  両名訴訟代理人弁護士    山崎順一
  同              新井由紀
  同      弁理士    高橋昌久
  被        告  特許庁長官 小川洋
  指定代理人       井上哲男
  同                      橋本康重
  同                      高木進

  同                      岡田孝博
  同                      涌井幸一
  同                      宮下正之
                   主文
     1 原告らの請求を棄却する。
         2 訴訟費用は原告らの負担とする。
                   事実及び理由
第1 請求
     特許庁が異議2002−71552号事件について平成15年11月13日にした決定を取り消す。
第2 事案の概要
  本件は,後記本件特許について特許異議の申立てを受けた特許庁が本件特許を取り消す旨の決定を行ったため,本件特許の特許権者である原告らが,同決定の取消しを求めた事案である。
第3 当事者の主張
 1 請求の原因
   (1) 特許庁における手続の経緯
     ア 原告両名は,平成11年6月21日,名称を「アンモニア冷凍装置」とする発明について特許出願(特願平11−174191号)をした。特許庁は,同出願につき,特許すべき旨の査定をし,平成13年10月19日,特許第3241694号として設定登録をした(以下,この特許を「本件特許」という。)。そして,本件特許は,同年12月25日付けで特許公報に掲載された(甲2)。

     イ 本件特許の出願は,1992年(平成4年)11月27日に我が国を指定国に含んでなされた国際出願(PCT/JP92/01551,国内段階に移行して特願平6−502675号。以下「原出願」という。)の一部を分割してなされたものである。
     ウ 本件特許に対し,平成14年6月24日付けでAから特許異議の申立てがなされ,同申立ては異議2002−71552号として特許庁に係属した。
 特許庁は,平成15年6月27日発送の通知書により取消理由通知を行い,これに対し,原告らは,平成15年8月26日,特許異議意見書(甲6)を提出するとともに,本件特許に係る明細書の「特許請求の範囲」及び「発明の詳細な説明」について訂正の請求(甲3)をした。
     エ 特許庁は,上記事件について審理を遂げ,同年11月13日,上記訂正を認めるとした上,「特許第3241694号の請求項1ないし8に係る特許を取り消す。」との決定(以下「本件決定」という。)をし,同年12月8日,その謄本は原告らに送達された。

   (2) 本件発明の要旨
 前記訂正後の明細書(甲3。以下「本件訂正明細書」という。)に基づく本件発明の要旨は,次のとおりである。
     ア 請求項1
       「 冷媒圧縮機、凝縮器、膨張弁及び蒸発器を含む冷凍サイクルにより、冷凍若しくはヒートポンプサイクルを構成したアンモニア冷凍装置において、
 前記冷凍サイクル中にアンモニア冷媒とその中にある潤滑油で構成される作動流体組成物を含み、前記潤滑油の基油が、ポリオキシアルキレングルコールの末端のOH基の水素の一方が、炭素数1−6の炭化水素基によって封鎖されており、他方に水素が結合されているか、若しくは炭素数1−6のアルキル基によって封鎖されている1種又は2種以上のポリエーテル化合物であり、且つ前記冷凍サイクル内でのアンモニア冷媒と潤滑油の比率を、その重量比が、70:30から97:3に設定することにより、前記冷凍サイクル中におけるアンモニア冷媒とその中にある潤滑油が、アンモニア冷媒の蒸発温度でも2層分離することのないように構成したことを特徴とするアンモニア冷凍装置。」(以下,「本件発明1」という。)

     イ 請求項2ないし8
 前記請求項1を引用したうえ,これに発明の特定要件として他の構成を付加したものである。(以下,「本件発明2」〜「本件発明8」という。)
   (3) 本件決定の理由
 本件決定は,本件発明1ないし8にかかる特許をいずれも取り消すべきものとしたが,その要点は,原出願からの分割出願である本件特許発明の明細書の記載事項は,原出願の出願の際に提出された明細書(甲4。以下「原明細書」という。)の記載の範囲を超えるものであるから,特許法44条2項本文による出願日の遡及は認められず,本件特許の出願日は実際の分割出願日(平成11年6月21日)であるとしたうえで,原明細書を主たる引用例として,本件発明の進歩性を否定したものである。
 本件決定が,本件発明1ないし8が原明細書の記載の範囲を超えると判断した理由の要点は,下記のとおりである。

                    記
     ア 本件発明の構成の内には,潤滑油の基油が、ポリオキシアルキレングルコールの末端のOH基の一方が炭素数1の炭化水素基によって封鎖されており,他方に水素が結合されているポリエーテル化合物であるものが含まれる。
 しかるに,このようなポリエーテル化合物については,原明細書において,「1−4価アルコールの水酸基が,一部分でも未反応のままで残存するなら,得られたポリオールは,長時間使用する間で,スラッジを生成するため,好ましくない」(8頁11行〜13行)との評価がされている。
 また,原明細書には「表2に示す………及び比較例3〜8の各(ポリ)エーテルは室温で不溶であるか,若しくは−50℃で相溶性を有していてもボンベテストで固化することが分かる。この結果これらの油は圧縮/凝縮/膨張を繰り返す冷凍サイクルに使用できないものである」(原明細書14頁後2行〜15頁3行)との記載があるところ,ここでいう比較例7及び8はまさに上記ポリエーテル化合物にほかならない。

        このように,原明細書の記載に照らせば,好ましくない例のものや,冷凍サイクルに使用できないものを本件発明に含めるようにして,『圧縮機運転中に固形物の生成もない。従って,従来のアンモニア冷媒の冷凍装置で不可欠であった油回収装置を省略することができ,そのため小型冷凍機としても使用することが可能となる。・・・』(本件訂正明細書【0084】)等の効果を記載することは,原明細書に記載された事項の範囲を超えるものである(本件決定5頁21行〜7頁11行)。
     イ 原告らは,本件発明の潤滑油は,原明細書5頁にいう「第2発明」(以下単に「第2発明」という。)に係るものであり、同「第1発明」の作動流体組成物に用いる潤滑油である「ポリオキシアルキレングルコールの末端のOH基の全てをOR基で置換したポリエーテル化合物」に限られるものでないと主張する。

 しかし,原明細書には,第1発明についての説明の後に「次に前記作動流体組成物を用いた第2発明について詳細に説明する」(原明細書10頁25行)と記載されているから,第2発明は第1発明の作動流体組成物を用いることを予定しているものと認められる(本件決定7頁13行〜30行)。
     ウ 仮に,本件発明の作動流体組成物に用いる潤滑油が原明細書の第1発明の潤滑油に限定されるものでないとしても,原明細書には,これらに係る具体的な化合物の開示はないというべきである。原明細書22頁表2記載の比較例7及び8の化合物は,「ポリオキシアルキレングルコールの末端のOH基の一方が,炭素数1の炭化水素基によって封鎖されており,他方に水素が結合されているポリエーテル化合物」であって,本件発明の構成を充足するが,原明細書において,これらの化合物はアンモニア冷凍サイクルに使用できないものとして開示されているのであるから,原明細書にはかかる化合物を用いた冷凍装置の発明は開示も示唆もないというべきである(本件決定7頁31行〜8頁7行)。

   (4) 原告らの主張に係る本件決定の取消事由
 本件決定が,訂正を認められた本件訂正明細書(甲3)の記載事項が原明細書(甲4)の記載の範囲を超えると判断するに当たって採用した理由付けは,原明細書の文言に拘泥した形式論に終始し,その結果,原明細書の実質的内容の理解を誤ったものであって,いずれも失当である。
 なお,本件の出願日はその現実の出願日である平成11年6月21日であると判断されることになれば,本件が原出願の国際公開(平成6年(1994年)6月9日)がされた後の分割出願であるため,本件特許の進歩性は当然に否定されることになることは争わない。
     ア 本件決定の説示事項アについて
        本件決定は,原明細書における下記@及びAの記載を引用したうえ,本件発明には,これらの記載によれば,好ましくないものまたは冷凍サイクルに使用できないものとされているポリエーテル化合物が含まれているという。

                     記
         @「1−4価アルコールの水酸基が,一部分でも未反応のままで残存するなら,得られたポリオールは,長時間使用する間で,スラッジを生成するため,好ましくない」(原明細書8頁11行〜13行)
         A「表2に示す………及び比較例3〜8の各(ポリ)エーテルは室温で不溶であるか,若しくは−50℃の低温で相溶性を有していてもボンベテストで固化することが分る。この結果これらの油は圧縮/凝縮/膨張を繰り返す冷凍サイクルに使用できないものである」(原明細書14頁後2行〜15頁3行)
       しかしながら,かかる判断は誤りである。
       (ア)a 上記@の記載は,第2発明のアンモニア冷凍装置に充填されるべき潤滑油について,原明細書の「請求の範囲」第1項に特定的に記載されたポリエーテル化合物,すなわち一般式(J)で表された第1発明の化合物(末端の水酸基の全てが反応して炭化水素基によって封鎖されているもの)との対比において相対的に記載したものであり,必ずしも,水酸基の一部が未反応のままで残存するポリエーテル化合物が第2発明の冷凍装置に充填されるべき潤滑油としておよそ使用できないことまで断定するものと解すべきではない。このことは,原明細書における,「(第2発明の)潤滑油は第1発明のみに限定される事なく,アンモニア冷媒に容易に溶解し得,且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油であればよい。」との記載(5頁23行〜25行)及びこれに対応する特許請求の範囲第12項の記載から明らかである。

        b なお,被告は,原明細書には,「アンモニア冷媒に容易に溶解し得,且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない潤滑油」として、第1発明の潤滑油以外に何ら具体的な実施例の開示がないと主張する。しかし、次に述べるとおり、原明細書の表2(原明細書22頁)に示された「比較例7」及び「比較例8」の潤滑油は、かかる開示に該当するものであるから,被告の主張は失当である。
 すなわち,原明細書の上記記載にいう「冷媒の蒸発温度」を具体的に示す記述として,原明細書には「アンモニア冷媒との相溶性すなわち二層分離温度の設定は、使用される用途に基づいて決定される。例えば極低温冷凍機には、二層分離温度が−50℃以下の潤滑油が必要であり、通常の冷蔵庫では−30℃以下であれば充分であり、空調機では−20℃以下の潤滑油でよい。」(9頁14〜17行)との記載があり、この記載によって、第2発明の冷凍装置に用いる潤滑油は、−20℃以下の温度で2層分離する事のない潤滑油であればよいことが特定されている。

 そして、原明細書の表2において,比較例7及び8の化合物について,アンモニアとの2層分離温度が−50℃以下であることが示されており,これらの化合物は原明細書の上記記載にいう条件を満足させるものであることが判る。すなわち,原明細書には,「アンモニア冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない」潤滑油という本件特許の構成要件を満たす化合物が,比較例7及び8として開示されているということができる。
 そして、原明細書の比較例7及び8の化合物が、本件特許の構成要件である「…、前記潤滑油の基油が、ポリオキシアルキレングリコールの末端のOH基の水素の一方が、炭素数1−6の炭化水素基によって封鎖されており、他方に水素が結合されているか、若しくは炭素数1−6のアルキル基によって封鎖されている1種又は2種以上のポリエーテル化合物」に当たることは、本件異議決定においても認めているとおりである。

 このように,原明細書中には,その比較例7及び8として,本件特許の具体的な実施例が開示されているというべきである。
       (イ)a また,上記Aの記載は,ボンベテストの結果に基づくものであるところ,原明細書において組成物の評価等に用いたボンベテスト(以下「本件ボンベテスト」という。)の概要は,「触媒として径1.6mmの鉄線3mを装填した300mlのボンベに試料油を50g入れ,アンモニアで0.6kg/cm
Gまで加圧し,さらに窒素ガスで5.7kg/cmGまで加圧した。その後150℃まで加熱して,その温度にて7日間保持した。」というものである(原明細書14頁16行〜19行)。このような過酷な条件下での本件ボンベテストによって,原明細書の比較例7及び8の化合物に固化という結果が見られたからといって,アンモニア冷凍装置に使用する全ての潤滑油がかかる過酷な条件下での作動を要求されるものでないから,原明細書の上記Aの記載は,比較例7及び8の化合物がアンモニア冷凍装置の潤滑油の基油として使用できないことを示すものではない。このことは,当業者にとって自明である。
         b なお,被告は、「比較例7,8の化合物は,原明細書には冷凍装置に使用できないものとして開示されている以上,これらは分割出願に係る発明が原明細書に記載されているとする根拠となり得るものではないし,その実施例になり得るものではない。」と主張する。
 しかし、原明細書において、比較例7、8の化合物につき「冷凍サイクルに使用できない」と評価する根拠となった本件ボンベテストの試験条件は,次に述べるとおり、第2発明の目的である「潤滑油とアンモニアとの作動流体組成物が冷凍若しくはヒートポンプサイクルを循環するように構成する」ためのテスト条件として苛酷に過ぎるもので,不適正であったといわざるを得ない。
 すなわち,原明細書の背景技術の項に「(アンモニアを冷媒として用いた冷凍装置は,)………圧縮機よりの吐出温度が高い等の欠点を有するために、これらの欠点により不具合が生じないような冷凍システム構成がとられている。」(1頁18〜20行)との記載があるとおり、第2発明の課題には、アンモニア冷凍装置は圧縮機からの吐出温度が高いことによる不具合を解消するということがある。

 そして,原明細書の記載及び原明細書が言及する特開昭58−106370号公報(甲15)の記載等によれば,アンモニア冷凍装置の圧縮機からの吐出温度は約85℃近辺であることが理解される。
 してみると,原明細書には,圧縮機からの吐出温度が約85℃である状況に対処できれば,「潤滑油とアンモニアとの作動流体組成物が冷凍若しくはヒートポンプサイクルを循環するように構成する」という第2発明の目的が達成できることが開示されているというべきである。
 また,特開平10−147682号公報(甲13)には,第2発明と目的を同一にする「アンモニア冷媒との相溶性が良好で,しかも潤滑性及び安定性にも優れた潤滑油を用いた冷凍装置」の発明が開示されている。そして,かかる潤滑油の高温雰囲気下における固化テストの条件は,温度102℃で8日間保持するというものである。この条件を,本件ボンベテストの条件と比較すると,保持時間は7日間と8日間で大差がないが,加熱温度は本件ボンベテストが150℃であるのに比べると,大幅に低いものである。

 このように,本件ボンベテストにおける加熱温度の条件設定は,アンモニア冷凍装置の圧縮機からの吐出温度に比べても大幅に高いし,また,目的を同じくする他の発明において採用された試験条件に比べても大幅に高いものとなっている。そうすると,本件ボンベテストにおける加熱温度の条件設定は,第2発明の目的及び効果が,潤滑油とアンモニアとの作動流体組成物が冷凍若しくはヒートポンプサイクルを循環するように構成したアンモニア冷凍装置を提供することにあることに照らして,苛酷に過ぎるものであったといわざるを得ない。
 したがって,このように過酷な条件を採用した本件ボンベテストにおいて固化という結果がみられたからといって,比較例7及び8の化合物が,アンモニア冷凍装置の潤滑油の基油として利用できないことになるわけではない。

 現に,比較例7及び8の化合物について,甲13と同じ条件の下で固化テストを行ったところ,テスト後において外観に変化はなく,また試料の固結も見られなかった(甲16)。このことからしても,原明細書の比較例7及び8の化合物が,本件発明の要件を充足する潤滑油であることは明らかである。
 特に、本件発明は,先行技術のないパイオニア発明であり,このようなパイオニア発明については,試験条件を全て正しく把握するのは困難であったという事情が考慮されるべきである。すなわち,原明細書の段階においては,発明の効果を確認するための試験条件の設定の一部が過酷であったため、発明の目的からすれば実施例とし得たはずの構成の化合物が比較例(7及び8)として開示されているのであるが,かかる構成の化合物が第2発明の目的及び効果を満たすことが実質的に原明細書に開示されていると評価し得る以上、本件発明の課題と構成は原明細書において明瞭に開示されているというべきであり、その試験条件の一部が過酷であったことに基づく原明細書における記載の不利益を発明者に帰せしめるべきではない。このように,原出願時の試験条件の一部が過酷であると客観的に認められる場合に、原出願においては比較例とされたものを実施例として分割出願されたものに対して出願日の遡及という効果を認めることは、分割出願制度の趣旨に適うものであり、産業上の発展に寄与するという特許法の目的にも適うものであるというべきである。

     イ 本件決定の説示事項イについて
        上記アにおいて述べたとおり,本件発明のごとく,OH基の一部がOR基によって置換されていないポリエーテル化合物も,第2発明のアンモニア冷凍装置において潤滑油の基油として使用しうることは,原明細書に実質的に開示されているというべきである。このことからすれば,原明細書に,第1発明についての説明の後に「次に前記作動流体組成物を用いた第2発明について詳細に説明する。」との記載(10頁25行)があるからといって,「前記作動流体組成物」が第1発明の作動流体に限られるかのようにいう認定判断は,第2発明の内容の実質的判断において誤りであり,文理的にも,当該記載に対して前置されている「本発明(本判決注:第2発明を指す)の潤滑油は第1発明のみに限定される事なく,アンモニア冷媒に容易に溶解し得,且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油であればよい。」(原明細書5頁23行〜25行)との記載とも矛盾する誤った解釈である。

 なお,被告は、第2発明は、第1発明の作動流体組成物を用いることを予定して原明細書に開示されていたものと認められると主張する。しかし、原明細書の「本第2の発明は、アンモニア冷媒と,………潤滑油とを冷凍装置内に………充填させて冷凍若しくはヒートポンプサイクルを構成するものである。この場合、前記アンモニア冷媒と潤滑油とは前もって混合して作動流体組成物となしてもよく、又夫々別個に冷凍若しくはヒートポンプサイクル中に充填し、該サイクル中で作動流体組成物を構成してもよい。」(5頁15〜22行目)との記載によれば,潤滑油の化学構造を特定した第1発明と異なり、第2発明においては,潤滑油の具体的な化学構造を特定していないことは記載上明らかであるから、上記の如き被告の主張は失当である。
     ウ 本件決定の説示事項ウについて

        さらに本件決定は,原明細書に,本件発明のアンモニア冷凍装置の潤滑油として使用する化合物の具体的な開示がないというが,上記のとおり,原明細書の第2発明において使用可能とされる潤滑油は第1発明の化合物のみに限定されるものでなく,「アンモニア冷媒に容易に溶解し得,且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油であればよい」のである。そして,原明細書記載の比較例7及び8の化合物は,原明細書の第1発明の関係では比較例として挙げられたものであるが,第2発明の関係では,冷媒の蒸発温度である−50℃以下の低温でもアンモニア冷媒と2層分離しないという優れた相溶性を有しているのであるから,第2発明のアンモニア冷凍装置の潤滑油として使用できる化合物に該当し,実施例となり得るものであったことは明らかである。
 そうすると,原明細書記載の比較例7及び8の化合物が,本件発明にいう「ポリオキアルキレングルコールの末端のOH基の水素の少なくとも一部が,炭素数1−6の炭化水素基によって封鎖されている1種または2種のポリエーテル化合物」に該当することは本件決定も認めるところであり,しかも,「アンモニア冷媒とその中にある潤滑油が,アンモニア冷媒の蒸発温度でも2層分離することのないように構成した」という要件をも充足するのであるから,本件発明のアンモニア冷凍装置の潤滑油として使用し得る化合物が原明細書に具体的に開示されていたというべきであり,本件決定の認定判断は誤りである。
 なお,被告は,第2発明についても,発明の詳細な説明中に,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に,特許請求の範囲に記載された発明を実施するための構成が開示されていなければならず,原明細書においてはそのような構成として,第1発明に係る化学構造しか開示されていないのであるから,第2発明に係る作動流体組成物についても,第1発明に係るものに限定されていたとすべきである,と主張する。

 しかし,そもそも第1発明が潤滑油の基油となる化合物の化学構造を特定したものであるのに対して,第2発明は「前記両者の充填比がアンモニア冷媒に対し潤滑油を2重量%以上充填させた作動流体組成物」を用いたアンモニア冷凍装置にかかるものであって,その構成要件はあくまでも前記両者が充填された作動流体組成物であって,潤滑油の化学構造そのものではない。
 そして,原明細書の17頁後1行目〜18頁4行目には「本実施例を用いる作動流体組成物は表3に示すように,流動性が蒸発温度以下の−50℃でも冷媒と相溶性がよく,且つ流動性も4.5秒前後と良好なために,………従来例より高い冷凍効果を得る事が出来るとともに………」と記載されている。原明細書の表3では,実施例6の化合物について相溶性及び流動性が評価されているが,実施例6の化合物の2層分離温度は−50℃であって比較例7及び8と一致しており,表1及び表2が示すように実施例6の動粘度が10であるのに対して比較例7では20,比較例8では10であるから,流動性についても,実施例6と比較例7及び8は一致している。このように,実施例6の相溶性及び流動性は比較例7及び8とほぼ一致している以上,実施例6の有する作用効果は比較例7及び8も有していることは,発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者にとって自明である。

 したがって,原明細書の表1ないし表3には,比較例7及び8の化合物が第2発明のアンモニア冷凍装置に用いる潤滑油として適用可能であることが,当業者が容易にその実施をすることができる程度に開示されているものというべきである。したがって,第2発明についても,原明細書の発明の詳細な説明中に,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,構成及びその作用効果,更には化学構造も開示されているというべきであるから,被告のこの点の主張も誤りである。
 2 請求原因に対する認否
 請求原因(1)ないし(3)の事実は認めるが,同(4)は争う。
 3 被告の反論
    分割出願に係る発明である本件訂正明細書(甲3)の請求項1記載の本件発明1並びに本件訂正明細書記載の実施例9及び10は,原明細書のどこにも記載も示唆もないものであるから,これらの事項は,原明細書に記載された事項の範囲内のものと認めることはできない。したがって,本件分割出願が適法にされたものではないから,出願日の遡及を認めなかった本件決定の認定判断に,誤りはない。

   (1) 本件決定の説示事項アに関する原告らの主張について
     ア まず原告らは,本件決定が引用する原明細書の記載の@は,OH基の一部が未反応のままで残存するポリエーテル化合物が,第2発明であるアンモニア冷凍装置の潤滑油として使用できないことまで断定するものと解すべきではないと主張し,その根拠として,原明細書における,「(第2発明の)潤滑油は第1発明のみに限定される事なく,アンモニア冷媒に容易に溶解し得,且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油であればよい。」との記載(5頁23行〜25行)を援用する。
 しかしながら,原明細書の記載全体に徴すれば,原明細書が開示する発明は,ポリオキシアルキレングルコールの末端のOH基が一部分でも未反応のままで残存すると、得られた化合物を基油とする作動流体組成物は、長時間使用する間で、スラッジを生成するために好ましくないとの認識に基づいて、その全てをOR基で置換したポリエーテル化合物を基油とする潤滑油とアンモニアからなる作動流体組成物の発明であると認められる。

 原告らが指摘するとおり、原明細書には、第2発明に係る潤滑油が「第1発明のみに限定されることなく、アンモニア冷媒に容易に溶解し得、且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない潤滑油であればよい。」(5頁23〜25行)と記載されているが、原明細書には、アンモニア冷媒に容易に溶解することができるものであって冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない潤滑油として、第1発明の潤滑油以外に何ら具体的な実施例の開示がない。そうすると、原告らが挙げる上記記載は、上記した技術的課題や第1の目的を単に記載しただけのものであって、そこに具体的な発明の開示があったものとみることはできない。したがって、原告ら指摘の上記記載は、分割出願に係る発明が原明細書に記載されていたとする根拠となり得るものではない。
     イ 次に原告らは,本件決定が引用する原明細書の記載Aは,第2発明の目的からすれば苛酷に過ぎる本件ボンベテストの結果に基づくものであるから,同記載をもって,本件発明の開示する化合物が,原明細書においてはアンモニア冷凍装置の潤滑油として使用できないものとして開示されていたということはできない,と主張する。

 しかしながら,本件ボンベテストが,実用機が晒される長期間にわたる使用条件と比較して苛酷に過ぎると単純に断定することはできない。また,原明細書の比較例7及び8の化合物は,アンモニア冷凍装置の潤滑油として使用できないものとして開示されている以上,これらは,本件発明が原明細書に記載されているとする根拠となり得るものではないし、その実施例になり得るものでもない。
   (2) 本件決定の説示事項イに関する原告らの主張について
 また原告らは,第2発明に用いる作動流体組成物は第1発明の潤滑油を用いたものに限られるかのようにいう本件決定の認定は,第2発明の内容の解釈において誤りであり,原明細書の「(第2発明の)潤滑油は第1発明のみに限定される事なく、アンモニア冷媒に容易に溶解し得、且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油であればよい」との記載とも矛盾する誤った解釈であると主張する。

 しかしながら,原明細書には,第1発明の化合物を基油とするもの以外の潤滑油については何ら具体的な開示がない。そして,原告らが援用する原明細書の上記記載は,単なる技術的課題・目的を記載したものに過ぎないと解される。
 よって,本件決定の認定判断に原告ら主張の誤りはない。
   (3) 本件決定の説示事項ウに関する原告らの主張について
 さらに原告らは,原明細書の「(第2発明の)潤滑油は第1発明のみに限定される事なく、アンモニア冷媒に容易に溶解し得、且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油であればよい」との記載に照らせば,原明細書の比較例7及び8は,本件発明の化合物に該当することは明らかであり,原明細書には本件発明のアンモニア冷凍装置の潤滑油として使用する化合物の具体的な開示がない,との本件決定の判断は誤りであると主張する。

 しかしながら,原明細書には、比較例7及び8は、冷凍サイクルに使用できないものとして開示されており、原明細書のどこをみても、比較例7、8が一部の冷凍装置には使用可能であるとの記載も示唆もないのである。原告らのいう「アンモニア冷媒に容易に溶解し得、且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない潤滑油であればよい」という基準は、前記したとおり、原明細書が開示する発明の技術的課題・目的の記載にすぎない。比較例7及び8の化合物は、原明細書が開示する発明の構成要件の一部である末端のOH基の全てをOR基で置換したエーテル化合物とは、構造上かなりの相違があるので、性質上もかなりの相違があると予測されるところであるから、効果確認の開示もないままに、これらが冷凍装置に使用可能であると認めることはできない。
 また,ある発明が明細書又は図面に記載されているというためには、当該発明が技術的思想としてのまとまりをもった形態で、明確に開示されていなければならないというべきである。しかるに,原明細書において、発明評価の手段としてボンベテストなる試験方法を採用して発明を開示したのに対して,本件発明は,原明細書の第1発明に「潤滑油の基油が、ポリオキシアルキレングルコールの末端のOH基の水素の一方が、炭素数1−6の炭化水素基によって封鎖されており、他方に水素が結合されているか、若しくは炭素数1−6のアルキル基によって封鎖されている1種又は2種以上のポリエーテル化合物であ(る)」との構成を新たに加え、発明評価の手段とされていたボンベテストに係る記載を削除したのである。このような本件発明は、原明細書に技術的思想としてのまとまりをもった形態で明確に開示されていたとはいえず、原明細書の記載の範囲外のものであるから、新たな証拠により、本件ボンベテストのテスト条件が不適切であったことを立証したとしても、分割後の記載内容が原明細書に記載されていたことの証明にはならない。
 原告らは、甲13ないし16を提示して、本件ボンベテストの条件が過酷であったことを主張するが、これらの実験方法によって本件発明の潤滑油が固化しないからといって,原明細書に、原明細書が開示する発明の一部として、比較例7及び8記載のものが記載されていたとすることはできない。
第3 当裁判所の判断
 1 請求原因(1)(特許庁における手続の経緯),(2)(本件発明の要旨),(3)(本件決定の理由)の各事実は,いずれも当事者間に争いがない。
 2 本件の争点
    前記のとおり,平成11年6月21日になされた本件特許の出願は,平成4年11月27日になされた原出願からの分割出願としてなされたものである。
 本件発明1ないし8は,アンモニア冷凍装置に用いる作動流体組成物を構成する潤滑油の基油につき,その構造を「ポリオキシアルキレングルコールの末端のOH基の水素の一方が、炭素数1−6の炭化水素基によって封鎖されており、他方に水素が結合されているか、若しくは炭素数1−6のアルキル基によって封鎖されている1種又は2種以上のポリエーテル化合物」と特定するものであるところ,OH基の水素の「他方」に「水素が結合されている」ポリエーテル化合物,換言すれば,アルキル基によって封鎖されていないポリエーテル化合物(以下「本件化合物」という。)は,原明細書(甲4)の「請求の範囲」には記載されていない。

 ところで,特許法44条1項に基づいてもとの出願から分割して新たな出願とすることのできる発明は,もとの出願の願書に添付した明細書の特許請求の範囲に記載されていたものに限られず,その要旨とする技術的事項のすべてが,その発明の属する技術分野における通常の技術的知識を有する者がこれを正確に理解し,かつ,容易に実施できる程度に記載されている場合には,同明細書の発明の詳細な説明ないし図面に記載されているものであっても差し支えない(最高裁昭和56年3月13日第二小法廷判決・裁判集民事132号225頁参照)から,本件の争点は,本件化合物を潤滑油として用いる冷凍装置の発明が上記の程度に原明細書に記載されていたといえるか否かであると解される。
 3 原明細書の記載について
   (1) 原明細書の「請求の範囲」の記載(23頁ないし25頁)によれば,その第1項ないし10項は「(冷媒圧縮機の)作動流体組成物」,第11項ないし23項は「アンモニア冷凍装置」,第24項ないし28項は「(冷凍圧縮機の)潤滑方法」についての発明である。

 また,原明細書の冒頭には,「アンモニア冷凍装置,該冷凍装置に用いる作動流体組成物及びアンモニア圧縮機の潤滑方法」と記載されている。
 これらの記載によれば,原出願においては,(a)作動流体組成物,(b)アンモニア冷凍装置,(c)潤滑方法,という3つの類型の発明について特許請求がなされていることが明らかである。
   (2) 原明細書における原出願に係る発明の技術背景及び技術課題についての記載を要約すると,次のとおりである。
     ・ 冷凍装置の冷媒として従来はフロンが広く用いられていたが、地球のオゾン層を破壊することが問題とされ、フロンの代替冷媒としてアンモニアが見直されてきた(原明細書の1頁9〜14行の記載参照。)。
     ・ アンモニア冷媒を用いた単段圧縮タイプの直接膨張式冷凍システムでは、アンモニア冷媒が圧縮機の潤滑油として使用する鉱物油に非溶解性であることから、油分離器、油抜き部、抜き出された油の戻し経路の設置が必要となって構成が煩雑化する(同1頁21行〜2頁17行)。

     ・ 潤滑油が冷媒に対し非溶性であるため、凝縮器や蒸発器内の熱交換コイル壁面に油が付着して伝熱効率の低下する問題がある(同2頁18行〜21行)。
     ・ 近年の冷凍保存温度の大幅な低下に対応した極低温アンモニア二段圧縮式液ポンプ再循環システムにおいても、油回収機構の煩雑化等の問題がある(同3頁6行〜4頁2行)。
     ・ 家庭用の冷蔵庫や空調機では、そこに多く採用されている密閉型圧縮機が電動機と圧縮機を一体的に密封するため、油のみを回収循環することが極めて難しくなる等の理由により、アンモニア冷媒を使用できないのが現状である(同4頁3行〜15行)。
     ・ 上記の問題点は、アンモニアと優れた溶解性を持ち、長期間の使用によっても品質的に劣化しない潤滑油が開発されれば殆ど解決される(同16〜18行)。

   (3) 技術背景及び技術課題に関する上記記載を受けて,原出願に係る発明の目的については、次のとおり記載されている(以下、順に「第1の目的」ないし「第3の目的」という。)。
     ア 「本発明はかかる技術的課題に鑑み、アンモニア冷媒との相溶性が極めて良好で、潤滑性と安定性にも優れた潤滑油及びアンモニア冷媒とを混合してなる冷凍機用作動流体組成物を提供することを目的とする。」(原明細書4頁26行〜29行)
     イ 「本発明の他の目的は,前記作動流体組成物を用いた場合に好適な冷凍装置を提供する事にある。」(同30〜31行)
     ウ 「又本発明の他の目的は,前記作動流体組成物を用いるとともに、更に一歩勧めて前記したアンモニアの持つ欠点をも解消し得る冷凍装置とその装置内に組込まれる冷凍圧縮機の潤滑方法を提供する事にある。」(同32行〜34行)

   (4) 発明の目的に関する上記各記載に続けて,原明細書には「発明の開示」として次のとおり記載されている。
     ア 「発明の開示」の冒頭の記載は次のとおりである。
         「本発明者達は前記作動流体の作動流体組成物を得るために、特定の構造を有するポリオキシアルキレングリコールの末端OH基の全てをOR基で置換したエーテル化合物(以下単にポリエーテルと称する)が、アンモニアとの相溶性に優れ、アンモニア存在下でも優れた潤滑性および安定性を発揮することを見出し、本発明を完成するに至った。」(原明細書の5頁2行〜6行)
     イ 上記アの冒頭の記載に続けて,さらに下記のとおりの記載がある。
       (ア)「すなわち本第1の発明は、以下の一般式(J)の化合物を潤滑油の基油とするアンモニア圧縮機用潤滑油とアンモニアとの混合物よりなる作動流体組成物である。………。」(同7行〜14行)。

       (イ)「又本第2の発明は、アンモニア冷媒と、該アンモニア冷媒に溶解し得且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油とを冷凍装置内に充填させるとともに、前記両者の充填比がアンモニア冷媒に対し潤滑油を2重量%以上充填させて冷凍若しくはヒートポンプサイクルを構成するものである。
 この場合、前記アンモニア冷媒と潤滑油とは前もって混合して作動流体組成物となしてもよく、又夫々別個に冷凍若しくはヒートポンプサイクル中に充填し、該サイクル中で作動流体組成物を構成してもよい。
 又、本発明の潤滑油は第1発明のみに限定される事なく、アンモニア冷媒に容易に溶解し得、且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離する事のない潤滑油であればよい。………。」(同15〜31行)
       (ウ)「更に前記一般式(I)の化合物を基油とする潤滑油は必ずしもアンモニアと相溶させる作動流体としてのみ用いるものではなく、アンモニア圧縮機の潤滑油として単独に用いる事も出来る。これが本第3の発明である。」(同32〜35行)

 4 上記3に摘示した原明細書の各記載からは,次のようにいうことができる。
   (1) 原出願に係る各発明は,(a)作動流体組成物,(b)アンモニア冷凍装置,(c)潤滑方法という3つの類型に分けられることができ,原明細書においては,それぞれに対応する形で,第1ないし第3の発明の目的が記載され(上記3(3)のアないしウ),第1ないし第3の発明について「発明の開示」の記載がなされている(上記3(4)イの(ア)ないし(ウ))。
   (2) そして,前記3(4)に摘示した「発明の開示」の記載からみて,同アの「特定の構造を有するポリオキシアルキレングリコールの末端OH基の全てをOR基で置換したエーテル化合物」を用いることが,原出願に係る各発明に共通する,発明の本質であると解される。その理由は次のとおりである。
     ア 前記3(4)アの記載は,3つの類型の発明について各別に発明を開示する前記3(4)イの(ア)ないし(ウ)の記載に先立つ位置に置かれており,これら3つの類型の発明を総括する記載であるとみられる。

     イ 前記3(4)アの記載は,「前記作動流体の作動流体組成物」について述べたものである。一方,発明の目的に関する前記3(3)の記載において,まず第1の目的として「冷凍機用作動流体組成物」の提供を挙げ(同ア),次いで,第2の目的及び第3の目的が,「前記作動流体組成物」を用いた冷凍装置及び潤滑方法の提供にあることを明らかにしており,ここでいう「前記作動流体組成物」は全て同一の構成のものを指すと解するのが自然である。
   (3) そうすると,前記3(4)アでいう「特定の構造を有するポリオキシアルキレングリコールの末端OH基の全てをOR基で置換したエーテル化合物」を,原出願に係る各発明における「作動流体組成物」を構成する潤滑油として用いることは,原出願に係る各発明に共通する発明の本質であると解すべきである。

 そして,原明細書にいう「第1発明」は,かかる作動流体組成物の構造を一般式(J)によって特定した「請求の範囲」第1項記載の発明と,これに限定を加えた同第2項ないし同第10項の従属発明を総称するものと解される。
 次いで,「第2発明」は,同じく「請求の範囲」第11項ないし第23項の発明を総称したものであり,当該作動流体組成物を冷凍若しくはヒートポンプサイクルに用いたアンモニア冷凍装置の発明を特定するに当たり,例えばアンモニア冷媒に対する潤滑油の充填比を2重量%以上として特定するなど(第12項),冷凍装置の構成を特定する要素について限定を加えた特徴を有するものである。
 「第3発明」は、第1発明で特定される一般式(J)の化合物をアンモニア圧縮機の潤滑油として単独に用いる事に特徴を有するものであり,「請求の範囲」第24項ないし第28項の発明がこれに該当する。

   (4) このように,原明細書にいう第1発明ないし第3発明は,いずれも,「特定の構造を有するポリオキシアルキレングリコールの末端OH基の全てをOR基で置換したエーテル化合物」,すなわち一般式(J)の化合物を作動流体組成物の潤滑油として用いることを発明の本質とするものであると考えられる。
 そうすると,一般式(J)の化合物ではない本件化合物を,アンモニア冷凍装置に用いる作動流体組成物の潤滑油として含むことになる本件発明は,原出願に係る各発明の本質に合致せず,原明細書に記載されたものではないといわなければならない。
 したがって,本件発明の出願は,原出願にかかる発明に包含されていたものということはできず,これが特許法44条1項の要件を充足する適法な分割出願ではないとした本件決定の判断に誤りはない。

 5 原告らの主張に対する判断
   (1) 原明細書の「第1発明のみに限定されることなく」との記載について
 原告らは,原明細書に、第2発明に係る潤滑油について「第1発明のみに限定されることなく、アンモニア冷媒に容易に溶解し得、且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない潤滑油であればよい。」(5頁23〜25行)との記載があることや,「請求の範囲」第12項では同第11項と異なり化合物の化学構造については特定がなされていないことを根拠に,第2発明のアンモニア冷凍装置の潤滑油としては,第1発明のものとは限られないことが原明細書に記載されていると主張する。
 しかしながら,原明細書には、アンモニア冷媒に容易に溶解することができるものであって冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない潤滑油として、第1発明の潤滑油,すなわち一般式(J)の化合物を基油とする潤滑油の他には,何ら具体的な実施例の開示がない。そうすると、原告らが挙げる上記記載は、第2発明のアンモニア冷凍装置の潤滑油の基油として,第1発明以外にも,相溶性の条件を満たす化合物が適用可能なことを示唆するものであるということはできても,それ以上の意義を有するものではない。すなわち,上記記載は,第2発明の技術的課題及び目的を単に記載しただけのものであって、そこに,第1発明の化合物以外の具体的な発明の開示があったものとみることはできず,ましてや,本件化合物を潤滑油に用いることが記載されていたということはできない。

 そもそも,本件化合物を潤滑油として用いたアンモニア冷凍装置の発明が原明細書に記載されていたといえるためには,原明細書にかかる発明の示唆があるというだけでは足らず,前記2のとおり,かかる発明の技術的事項のすべてが,その発明の属する技術分野における通常の技術的知識を有する者がこれを正確に理解し,かつ,容易に実施できる程度に記載されているといえるのでなければならない。しかるに,原明細書においては,本件化合物を潤滑油として用いたアンモニア冷凍装置については,具体的な実施例の開示を欠くばかりか,それについて何らの記載も見出すことはできず,「その発明の属する技術分野における通常の技術的知識を有する者においてこれを正確に理解し,かつ,容易に実施できる程度に記載されている」といえないことは明白である。
   (2) 原明細書の比較例7及び8について
     ア 原告らは,原明細書における比較例7及び8の化合物は本件化合物の化学構造を有するものであり,これらの化合物は,第1発明の関係では比較例として挙げられたものではあるが,第2発明については実施例としての位置付けを有しうるものであるから,原明細書には本件化合物を基油とする潤滑油を用いたアンモニア冷凍装置の開示もなされているに等しいと主張する。そして,その根拠として,比較例7及び8の化合物は,原明細書の表2によれば冷媒の蒸発温度である−50℃でも2層分離しないという点で「第1発明のみに限定されることなく、アンモニア冷媒に容易に溶解し得、且つ冷媒の蒸発温度でも2層分離することのない潤滑油であればよい。」(原明細書5頁23〜25行)の条件を充足すること,比較例7及び8の化合物は,実施例6の化合物と構造及び物性の点で共通点を有すること等を挙げている。

    イ しかしながら,比較例7及び8の化合物に対しては,原明細書において「冷凍サイクルに使用できないものである」という否定的な評価が明確に与えられているのであり(原明細書15頁3行),このようなものを取り上げて,逆に,実施例としての位置付けを与えることは,原明細書に接したその発明の属する技術分野における通常の技術的知識を有する者の理解の範囲を超えるものであるといわざるを得ない。したがって,かかる比較例7及び8が原明細書に記載されていたことは,原明細書において本件化合物を用いた冷凍装置が「その発明の属する技術分野における通常の技術的知識を有する者においてこれを正確に理解し,かつ,容易に実施できる程度に記載されている」ことを根拠付けるものでないことは明らかである。
 もっとも,この点につき,原告らは,原明細書が比較例7及び8の化合物について「冷凍サイクルに使用できない」という評価をする根拠となった本件ボンベテストの条件は実際の使用条件に比べて過酷であったことを主張する。しかし,仮にそうであるとしても,過酷でない適切な実験条件によれば比較例7及び8の化合物が潤滑油として使用し得ることが,原明細書に記載されていたことになるわけではないし,まして,そのことが,当業者にとって正確に理解できるように記載されているといえるものでもない。さらに原告らは,甲16の実験結果を提出し,甲13が開示する適切な実験条件によれば比較例7及び8の化合物も通常の冷凍サイクルでは固化せず実用上十分な安定性を有すると主張するが,原明細書に記載も示唆もない甲13の実験条件による実験結果をもって,比較例7及び8の化合物の安定性が原明細書に記載されているとか,記載されているに等しいとかいうことはできない。

 また,本件訂正明細書(甲3)においては,原明細書にあった本件ボンベテストに係る記載を全て削除のうえ,原明細書の比較例7及び8はそれぞれ実施例9及び10と読み替えるものとされている。この訂正の結果,なるほど,本件ボンベテストに基づく「冷凍サイクルに使用できない」という評価は本件訂正明細書には存在しないこととなったが,他方,比較例7及び8(訂正後の実施例9及び10)の化合物が冷凍装置の潤滑油として要求される安定性を有するか否かについての検証が,全くなされていないことになる。なぜなら,原明細書においては,潤滑油の安定性は本件ボンベテストによって検証されており,本件訂正明細書において本件ボンベテストに関する記載を削除すれば,安定性に関する検証項目は全く存在しないことになるからである。しかし,「安定性」を有する潤滑油を得ることも本件発明の目的であることに照らし(本件訂正明細書の【0016】段落の記載参照),それが不当であることは明らかである。
     ウ 原明細書の「スラッジを生じるので好ましくない」との記載について
 原告らは,本件決定が,本件化合物のようにOH基の一部が完全に封鎖されていないポリエーテル化合物については「スラッジを生じるので好ましくない」との記載について,同記載は,一般式(J)の化合物と比較したうえでの相対的な記載に過ぎず,本件化合物を潤滑油の基油として用いることを排除するものではないと主張する。
 しかしながら,仮に原告らの主張のとおりであるとしても,本件化合物を用いた冷凍装置が,原明細書に発明の内容として積極的に記載されていたことになるわけではないことは,上記(2)イに述べたとおりである。
   6 以上の次第で,原告らが本件決定を取り消すべき事由として主張するところには理由がなく,本件決定には他にこれを取り消すべき瑕疵はない。

 よって,原告らの本訴請求は理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。

           東京高等裁判所知的財産第1部


                     裁判長裁判官       中  野  哲  弘

                             裁判官     青  柳     馨

                      裁判官        上  田  卓  哉