H17. 3.30 東京高裁 平成15(行ケ)272 特許権 行政訴訟事件

平成15年(行ケ)第272号 特許取消決定取消請求事件
口頭弁論終結日 平成17年3月14日
                   判       決
   大阪市北区堂島浜二丁目2番8号
         原      告    東洋紡績株式会社
         訴訟代理人弁理士 小  谷  悦  司
         同           植  木  久  一
         同           菅  河  忠  志
         同           三  輪  英  樹
         同           二  口     治
   東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
         被      告    特許庁長官 小川 洋
         指定代理人    石  井  淑  久
         同           鴨  野  研  一
         同           一 色 由美子
         同           涌  井  幸  一
         同           宮  下  正  之
                   主       文
       1 原告の請求を棄却する。
       2 訴訟費用は原告の負担とする。

                   事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
 1 原告
   (1) 特許庁が異議2002−70355号事件について平成15年4月30日にした決定を取り消す。
   (2) 訴訟費用は被告の負担とする。
 2 被告
    主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
 1 特許庁における手続の経緯
   原告は,発明の名称を「線状低密度ポリエチレン系複合フイルム」とする特許第3199160号の特許(平成8年2月6日出願,特許法41条1項に基づく優先権主張日平成7年2月10日,平成13年6月15日設定登録。以下「本件特許」という。請求項の数は3である。)の特許権者である。
   本件特許のすべての請求項について特許異議の申立てがなされ,特許庁は,これを異議2002−70355号事件として審理し,その結果,平成15年4月30日,「特許第3199160号の請求項1ないし3に係る特許を取り消す。」との決定をし,同年5月28日,その謄本を原告に送達した。

 2 特許請求の範囲
   (1) 請求項1
     平均粒径が3〜15μmの不活性微粒子を0.3〜2重量%を含む密度が0.88〜0.91g/cm
3であり,重量平均分子量/数平均分子量が1〜3である線状低密度ポリエチレンよりなるA層と,平均粒径が2〜7μmの不活性微粒子を0.3〜1.5重量%を含む密度が0.905g/cm3以上で,かつA層に用いた線状低密度ポリエチレンの密度より高い密度である線状低密度ポリエチレンよりなるB層とからなることを特徴とする線状低密度ポリエチレン系複合フイルム。
   (2) 請求項2
     A層/B層の厚み比が0.01〜2であることを特徴とする請求項1記載の線状低密度ポリエチレン系複合フイルム。
   (3) 請求項3
     A層に含まれる不活性微粒子が,架橋有機高分子よりなる微粒子であることを特徴とする請求項1または請求項2記載の線状低密度ポリエチレン系複合フイルム。

   (以下合わせて「本件発明」という。)
 3 決定の理由
   別紙決定書の写しのとおりである。要するに,本件特許は,平成6年法律第116号による改正前の特許法(以下単に「法」という。)36条4項及び5項2号に規定する要件を満たさない出願に対してなされたものである,とするものである。
第3 原告主張の取消事由
   決定は,本件発明の技術内容及び周知技術を誤認したため,本件特許が法36条4項及び5項2号に規定する要件を満たさないと判断したものであるから,違法として取り消されるべきである。
 1【法36条5項2号違反の判断の誤り】
   (1) 決定は,明細書(甲第2号証はその特許公報である。以下「本件明細書」という。)中に,不活性微粒子の「平均粒径」の定義等がなく,その概念が明らかでないから粒子が特定できないとし,原告が,それは一般的に用いられているコールターカウンター法による測定値であると主張したのに対し,そのような事実は認められない,としている。

   (2) 前提として,本件発明はいわゆるプロダクトバイプロセス発明であり,本件発明の製造工程において,材料である不活性微粒子は実質的に変質しないから,材料としての不活性微粒子の平均粒径が,そのまま製品に含まれるそれの平均粒径となる。
   (3) 本件発明の属する技術分野(フィルムなどの樹脂成形体)において,不活性微粒子を用いることは一般的であり,かつ,それを平均粒径に基づいて選択する場合,いちいち測定することなどせず,不活性微粒子のメーカーが公表する公称値をそのまま採用することが当業者の常識である。すなわち,特に平均粒径の意義や測定方法が明記されていない場合は,その平均粒径はメーカーの公称値を指すものと当業者は理解できるのである。
     この点,例えば,甲第6号証(特許第2911742号公報)の実施例の記載(【0019】以下)には,アンチブロッキング剤として富士シリシア化学株式会社製の「サイリシア550」が挙げられ,その平均粒径は「一次粒子直径2.7μm」との記載がある。これは,同社のカタログの公称値と同じものである(甲第7号証)。同様に,アンチブロッキング剤として挙げられている他社の製品の平均粒径も,カタログの公称値と一致している(甲第8号証)。このほか,明細書において,平均粒径の定義や測定方法を明示せずに,単に用いた製品(不活性微粒子)の名称とメーカー名を挙げ,その公称値を掲記していると推測される例がある(甲第9号証ないし第13号証)。

     平均粒径は,不活性微粒子のメーカーの公称値であると特定されており,そうである以上,粒子も特定されているといえる。
   (4) 平均粒径の測定方法の明記がないとしても,コールターカウンター法が一般的なものとして用いられていることは,当業者の技術常識であるから(甲第4号証,第7号証,第8号証,第14号証),本件発明の平均粒径も,このコールターカウンター法をもって測定されたものと認定すべきである。
     そうすると,やはり平均粒径の意義(球相当径・体積平均径)は明らかであり,粒子の特定はできていることになる。
   (5) なお,本件発明で用いる不活性微粒子の形状は特定されておらず,粒子の種類によって,好適な測定方法も異なる。測定方法を限定することは,粒子によっては不適な測定方法を採用することになり,かえって発明が不明確となるという事情もある。この観点からも,本件発明にいう不活性微粒子の平均粒径は,メーカーの公称値(メーカーは,最適な測定方法を選択して測定しているはずである。)を指すものと解すべきである。

 2【法36条4項違反の判断の誤り】
   1で述べたとおり,本件発明において,平均粒径の意義は明らかである。
   当業者は,市販品を購入して追試を行うことができ,そのことに格別の試行錯誤も要しない。
第4 被告の主張
 1【法36条5項2号違反の判断の誤り】に対して
   (1) 本件発明がプロダクトバイプロセス発明であるとの原告の主張は争う。請求項の記載をみれば,その構成要件が,製造方法により特定されていないことは明らかである。
     また,この種分野の特許において,フィルムとして形成した後,その中から不活性微粒子を取り出して平均粒径を測定している例もある(乙第5号証)。
     原告が主張するように,製造される前の材料の平均粒径を指していると直ちにはいえない。
   (2) 一口に粒子といってもいろいろな形があり,その代表径,粒度分布及び平均粒径の意義に様々なものがあること,どの意義のものを採用するかで平均粒径の値も異なってくる(乙第1号証ないし第3号証)のであるから,代表径や平均粒径,その測定方法を明確に特定する必要があることは当然である。

     しかるに,決定が説示するとおり,本件発明では,平均粒径及びその測定方法について,明確な定義はない。したがって,粒子の特定がないことになる。
   (3) メーカーの公称値をそのまま採用するのが技術常識であるとはいえない。
     特許明細書において,平均粒径の意義と測定方法を特定した上で,実際の測定結果を開示しているものとして,乙第3号証ないし第8号証がある。
     原告が提出している甲第6号証,第9号証ないし第13号証では,単に平均粒径の公称値を挙げているのではなく,そこで用いる不活性微粒子のメーカー名と商品名も挙げている。平均粒径や測定方法の意義を明確にしなくても,不活性微粒子のメーカー名と商品名を挙げることで粒子,ひいては平均粒径を特定することは許されるといえよう(もっとも,甲第10号証,第13号証以外は,平均粒径が,発明特定事項でも発明の構成に欠くことのできない事項でもないので,厳密な特定が必要でなかった,とも推測できる。)。しかし,本件明細書は,そのメーカー名も商品名も特定していない。そればかりか,そもそも,市販品を用いたのか,自ら製造したのかすら明らかでない。

   (4) 平均粒径の測定方法には様々なものがあり,それらは実際に用いられている。コールターカウンター法が,平均粒径の測定方法として一般的であるともいえない。
 2【法36条4項違反の判断の誤り】に対して
   (1) 1で述べたとおり,本件発明の平均粒径の意義もその測定方法も全く特定されていない。メーカー名及び商品名での特定もない。
     メーカーの公称値がいかに信頼できるものであっても,そのことと,それが特定の発明に用いることができるか否かとは次元の異なることである。すなわち,ある測定方法に基づき測定された平均粒径の値を持つ不活性微粒子が,本件発明の数値範囲を満たし,本件発明に用いることができるということは,他の測定方法により測定された,同じ値の平均粒径を持つ不活性微粒子もそうであることを何ら保障するものではないのである。そうすると,市販品を用いるとしても,測定方法を特定するか,どのメーカーのどの商品であるかまで特定しなければ,結局本件発明に用いることのできる平均粒径を持つ不活性微粒子を得ることができないのである。

   (2) 本件明細書の記載によっても,当業者は,数あるメーカーの多数の製品を用い,複数の測定手段によりその平均粒径を測定した上で,本件発明を実施することになる。格別の試行錯誤を要しないなどとはいえない。
第5 当裁判所の判断
 1【法36条5項2号違反の判断の誤り】について
   (1) 決定が説示し,また,原告も自認するとおり,本件発明では,不活性微粒子の粒子の形状も,平均粒径の意義も,測定方法も特定されていない。
    乙第1号証(「微粒子ハンドブック」朝倉書店)には,
     ア「2.2.1粒子径
       粒子の大きさを表す場合,次の三つのものが重要となる。i)1個の粒子の大きさをどのように表すか〔代表径のとり方〕,ii)粒子の大きさに分布がある粒子群をどのように表すか〔粒度分布(→2.2.2)の表し方〕,および,iii)粒子群を代表する平均的な大きさをどのように選ぶか〔平均粒子径(→2.2.3)の選び方〕。

       1個の粒子(とくに非球形の粒子)の大きさを表すのに種々の表し方があり,それらを代表径という。表1は主な代表径を示したものである。代表径には大きく分けて,幾何学的な寸法から定まるものと,何らかの物理量と等価な球の直径におきかえた相当径の二つがある。また,代表径は単に粒子径または粒径とよばれることが多いが,その場合にはどの代表径によるものであるのかをあらかじめ明示しておくことが必要である。・・・
       顕微鏡写真を撮ってそれから粒径を求める場合,定方向径がよく用いられる.これは,粒子が三次元的にランダムに配向しているものとして,表1中の図のように一定の方向に粒子の寸法を測ることで得られるものである。・・・ふるい径は相隣る目開きの間にふるい分けられた粒子径である。・・・投影面積円相当径は,表1に示すように,粒子の投影面積と等しい面積をもつ円の直径である。粒子に平行光線を照射したときのさえぎり光量を検知して粒径を求める粒径測定法で得られる粒子径がこれに相当する。等表面積球相当径は,粒子の表面積と同じ表面積をもつ球の直径である。等体積球相当径は粒子の体積と等しい体積をもった球の直径であり,電気的検知帯法(→3.3.5.c)によって測定される粒子径はこれに相当する。

       ・・・ストークス径は,表1中の式からわかるように,流体の粘度や粒子・流体密度が既知のときには,沈降速度vtを測定することから求められるし,またそれ以外の慣性法(→3.3.5.g)といわれる粒径測定法によってもこれが求められる。ストークス径は等沈降速度球相当径ともよぶことができる.・・・流体抵抗力相当径は,ある粒子の流体から受けるストークスの流体抵抗力と等しい抵抗力をもった球形粒子の直径として定義される。拡散法(→3.3.5),モビリティアナライザー(→3.3.5.i),光子相関法(→3.3.5.b)などによって測定される粒子径はこれに相当する。・・・代表径は粒径測定法と密接に関係しており,多くの場合測定法がきまると代表径はきまる。」(52頁左欄〜53頁右欄 なお53頁表1参照)
     イ「ある粒子群の個々の粒子の大きさがある代表径(→2.2.1)で測定されたとする。測定された個々の粒子の大きさが不揃いである粒子群を多分散といい,非常に揃っている粒子群を単分散であるという。多分散粒子の特徴は,通常,頻度分布またはこれを積算した積算分布−これらを総称して粒度分布という−の形で表される。ある粒子群の粒度分布を表示する場合,代表径を明示しておくことと,粒子の量がどのような基準−個数,長さ,面積,体積(または質量)−で測定されたかを明確に区別しておくことが必要である。これらによって粒度分布が異なるからである。」(54頁左欄)
     ウ「2.2.3 平均粒子径
       ある代表径(→2.2.1)を用いて,ある基準で測定された粒度分布(→2.2.2)が与えられたとき,ある粒径区分dp±Δdp/2(ただし,Δdpは粒径区分の幅)内にある粒子群の個数,長さ,表面積,質量をそれぞれn,l,s,m・・・とし,・・・表1に示すような種々の平均粒子径が定義できる。・・・結果を図1に示した。この図から,平均粒子径はその定義のしかたによってずいぶん異なることが理解できるであろう。」(58頁左欄〜右欄)

    との記載がある。また,乙第2号証(「粉粒体計測ハンドブック」・日刊工業新聞社)には,
     エ「粒度と粒子径はよく混同されるが,粒子径は個々の粒子を対象にしたときのそれぞれの大きさであり,粒度は粉体を構成している多数の粒子群を代表する粒子の大きさの概念である。現実の粒子は必ず大きさの分布をもつ多数の粒子群からなっているから,粒度の表現には分布を考慮しないわけにはいかない。・・・
       大きさという言葉には実は長さ,面積,重さの三つの次元が含まれている。それに個数というゼロ次元を加えた4種を考えると,試料中に含まれる粒子の中で粒子径区分D
iとDi+1の間に属する粒子が,
       i) 全粒子個数Σnの中の何個か?
       ii)全粒子の径の総和ΣnDの中でどれだけの長さを占めるか?
       iii)全粒子の表面積の総和ΣnD
2の中でどれだけの面積を占めるか?
       iv)全粒子の重量の総和ΣnD3の中でどれだけの長さを占めるか?
      の四つの表現があることになる.・・・これらの関係を図5・2に示しておく。・・・同じ試料でも,どの”大きさ”を基準にして粒度分布を表示するかによって”見掛けの粒度”は図5・1(a)のように当然異なってくる。」(29頁〜31頁 5.1.1(1) 粒度分布に関する記載,図5・1及び図5・2参照)
    との記載がある。以上の記載からは,本件の不活性微粒子においても,その代表径は粒子の形状やその取り方により異なること,平均粒径の算定方法も複数あり,同じ代表径からでもその算出値が異なること,さらに,測定方法も複数あること,を認めることができる。
     そうすると,粒子の形状,代表径の取り方,平均粒径の意義,測定方法のいずれも特定されていない本件発明においては,平均粒径の数値範囲だけが明記されていても,それがどのような大きさの不活性微粒子を指すかは(本件発明において不活性微粒子が製造工程で実質的に変質せず,材料段階での平均粒径を考えればよいとしても)不明であるといわざるを得ない。

   (2) 原告は,本件発明の技術分野においては,メーカーの公称値を採用するのが一般的であると主張する。
     甲第6号証(特許第2911742号)等,不活性微粒子のメーカー名・商品名とともに特定の数値を平均粒径として挙げている特許公報があり,その中には,その値がメーカーの公称値と一致していると明らかに認められるものもある(甲第4号証ないし第9号証)。しかし,本件明細書には,不活性微粒子のメーカー名・商品名が記載されているものではなく,そもそも市販品を用いたとの記載もないのであるから,上記の例と同一視することはできない。
     そして,乙第3号証ないし第8号証(いずれも本件の優先日前の公開特許公報)のように,種々の平均粒径の意義や測定方法の中から採用するものを明示して(例えば乙第3号証の走査型電子顕微鏡で測定する方法,乙第6号証の重力沈降法等),その値を示した例がある。

     メーカーの公称値を採用することが技術常識であったとは認められない。
   (3) 原告は,平均粒径の測定方法として,コールターカウンター法が一般的であり,本件発明もこれにより測定された平均粒径の値であると特定される,と主張する。
     前記(1)アで引用したとおり,測定方法が決まれば代表径,平均粒径の意義も明らかになるから,本件発明においても,コールターカウンター法が採用されていると解することができれば,特定に欠けるところはないことになる(同方法では,球相当径,重量分布として測定することになる。乙第2号証36頁)。
     甲第4号証,第7号証,第8号証及び第14号証(いずれもメーカーのカタログ)には,例えば甲第7号証7枚目の「平均粒子径(μm)〔コールターカウンター法〕のように,いずれも,平均粒径の測定をコールターカウンター法で行ったことが記載されている。

     しかし,(1)で述べたとおり,平均粒径の測定方法は複数あり,そして,乙第3号証ないし第8号証には,前記のとおりコールターカウンター法以外の方法を用いた例が開示されている。コールターカウンター法が,平均粒径の測定方法として一般的なものであると認めることはできない。
     以上のとおりであるから,法36条5項2号の判断の誤りをいう原告の主張は理由がない。
 2【法36条4項違反の判断の誤り】について
   1で述べたとおり,本件明細書には,平均粒径の意義,測定方法の特定がなく,また,メーカー名・商品名を明示することにより用いる不活性微粒子を特定してもいない。そうすると,当業者は,どのような不活性微粒子を用いればよいか分からないのであるから,本件明細書は,当業者が発明を実施できるように明確に記載されていないことになる。

   原告は,市販品を入手して追試ができると主張する。しかし,この追試をするためには,当業者は,すべての平均粒径の意義・測定方法について,これらを網羅して,平均粒径を測定して本件発明の数値範囲に当てはまるものを用い,本件発明の効果を奏するものかを検証する必要がある。特許は,産業上意義ある技術の開示に対して与えられるものであるから,当業者にそのような過度の追試を強いる本件明細書の開示をもって,特許に値するものということはできない。
   法36条4項違反の判断の誤りを原告の主張も理由がない。
 3 結論
   以上のとおり,原告主張の取消事由は理由がなく,その他,決定に取り消すべき誤りは認められない。よって,原告の本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。


       東京高等裁判所知的財産第3部
       
                 裁判長裁判官     佐  藤  久  夫
                 
                 
                       裁判官     設  樂  隆  一
                       
                       
                       裁判官     高  瀬  順  久