H16.12.21 東京高裁 平成16(行ケ)188 特許権 行政訴訟事件

平成16年(行ケ)第188号 審決取消請求事件
口頭弁論終結の日 平成16年12月9日
            判    決
             原       告   三洋電機株式会社
       同訴訟代理人弁理士      吉田研二
             同                      石田 純
             同                      志賀明夫
       被       告   特許庁長官 小川 洋
       同指定代理人      竹中辰利
             同                      佐藤伸夫
             同                      小曳満昭
             同                      宮下正之
            主    文

               1 原告の請求を棄却する。
               2 訴訟費用は原告の負担とする。
            事実及び理由
第1 請求
    特許庁が、不服2001−675号事件について、平成16年3月15日にした審決を取り消す。
第2 事案の概要
 1 争いのない事実
   (1) 原告は、発明の名称を「連立方程式解法」(後に「回路のシミュレーション方法」と補正)とする発明について、平成6年11月25日、特許出願(平成6年特許願第290991号、特開平8−147267号、以下「本願」という。)をしたが、平成12年12月19日付けで拒絶査定を受けたので、平成13年1月18日、これに対する不服の審判の請求をした。
     特許庁は、上記審判請求を不服2001−675号事件として審理した上、平成16年3月15日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をし、その謄本は、同月30日、原告に送達された。

   (2) 平成10年11月24日付け手続補正(以下「本件補正」という。)後の本願の請求項1記載の発明(以下「本願発明」という。)の要旨は、以下のとおりである。
     【請求項1】回路の特性を表す非線形連立方程式を、BDF法を用いて該非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く非線形な解曲線を追跡することにより数値解析する回路のシミュレーション方法において、BDF法を用いた前記解曲線の追跡における解曲線上のj+1(jは整数)番目の数値解を求めるステップは、予測子と修正子とのなす角度φj
+1を算出し、この角度φj+1が所定値より大きいか否かを判定する判定ステップと、前記判定ステップにおいて、前記角度φj+1が所定値より大きいと判断された場合には、前記解曲線の追跡の数値解析ステップのj+1番目の数値解を求めるステップをより小さな数値解析ステップ幅によって再実行し、j+1番目の数値解を新たに求め直すステップと、を含むことを特徴とする回路のシミュレーション方法。」
   (3) 本件審決は、別紙審決書写し記載のとおり、本願発明が、特許法上の「発明」に該当せず、特許法29条1項柱書に規定する要件を満たしていないとしたものである。
 2 原告主張の本件審決の取消事由の要点
    本件審決は、本願発明が、特許法上の「発明」に該当しないと誤認した(取消事由)ものであるから、違法として取り消されるべきである。
   (1) 本件審決が、本願発明について、その「処理対象は「現実の回路」ではなく、『回路の特性を表す非線形連立方程式』によって表された「回路の数学モデル」である」(2頁)と判断したことを争うものではないが、「上記『BDF法を用いて該非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く非線形な解曲線を追跡することにより数値解析する』は、本願発明の「シミュレーション方法」の処理手順を特定したものであるが、当該特定事項は、純粋に数学的な計算手順を明記したにすぎない」(同頁)と判断したことは、以下のとおり、誤りである。

     ア 本願発明の回路シミュレーションとは、本願に係る明細書(甲2、3、以下「本願明細書」という。)の段落【0002】、【0086】に記載されているとおり、設計したIC等の回路が仕様を十分満足できるか否かを設計段階で検証すべく、回路特性を記述した方程式を数値的に解析することで回路の直流動作点や伝達特性を明らかにすることである。印加電圧等の入力がある範囲で変化したときの出力電流や出力電圧等の出力を求める際、人間が当該方程式を手作業で解くことはおよそ現実的でないし実現可能でないことから、コンピュータを用いて数値的に解析する、すなわち入力値をステップ的に順次変化させて出力値を求めるものである。
        回路シミュレーションの処理対象が現実の回路そのものではなく、回路の数学モデルであることは認めるが、当該数学モデルは、いわゆる純粋数学モデルではなく、回路を構成する各素子の電気特性を反映した数学モデルであり、回路を構成する各素子間に成立する自然法則であるキルヒホッフの法則から得られるモデルであって、現実の回路から乖離した観念モデルとして存在するのではない。

     イ 本願発明の「解曲線」は、設計された回路の入力電圧に対する出力電圧や出力電流等の関係を示す特性曲線であり、「曲線の追跡」は、特性曲線を追跡することで直流動作点や伝達特性を解析することである。このことは、本願明細書の段落【0086】、図3及び電子情報通信学会論文誌A(Vol.J74-A)掲載の論文「解曲線追跡回路を用いた非線形回路の直流解析」(甲4、以下「本件技術論文」という。)に示されている。解曲線が回路の動作特性を示す曲線である以上、回路の物理的ないし技術的性質を反映したものとなることは当然である。
        また、本願発明における、「非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く非線形な解曲線」とは、本願明細書の段落【0008】に記載されているように、キルヒホッフの法則をベースに回路を記述する非線形連立方程式から得られるホモトピー方程式の解曲線を追跡することで元の非線形連立方程式の解、すなわち回路の動作特性を解析できるのであって、これも本願明細書の段落【0009】に記載されているとおり複数の文献に記載された技術常識である。

        BDF法については、本願明細書の段落【0011】に、「式(3)を数値的に解く方法として、BDF(後退差分公式)解曲線追跡アルゴリズムが知られている」と記載されており、本件技術論文にも記載されているとおり、非線形な特性曲線を呈する回路の動作特性を解析する有効な方法の一つとして知られている。
   (2) 本件審決が、非線形性を有する解曲線の疑似解に収束してしまうことを防止するための本願発明の構成である、「予測子と修正子とのなす角度を計算し、この角度が所定値より大きい場合には、数値解析幅を縮小して再計算する」ことについて、「純粋に数学的な非線形な解曲線に対する数値解析の計算手順(「回路の数学モデル」特有の処理と認められる点はなく、対象の技術的性質に基づいた情報処理に該当しない)にすぎない。(もちろん、現実の回路の特性に応じた処理でもなく、また、回路シミュレーション固有の処理でもない)」(3頁)と判断したことも、以下のとおり、誤りである。

     ア 本願発明の、「予測子と修正子とのなす角度φj+1を算出し、この角度φj+1が所定値より大きいか否かを判定する判定ステップと、前記判定ステップにおいて、前記角度φj+1が所定値より大きいと判断された場合には、前記解曲線の追跡の数値解析ステップのj+1番目の数値解を求めるステップをより小さな数値解析ステップ幅によって再実行し、j+1番目の数値解を新たに求め直すステップ」は、非線形な動作特性曲線を呈する回路の特性を解析する一手法であるBDF法の処理をさらに特定したものであって、本願明細書の段落【0012】に記載されているとおり、BDF法の解析ステップである、直前の2つのステップの解から得られる予測子を用いて修正子を算出し、この修正子により次の解を算出するステップにおいて、特に予測子と修正子とのなす角度φに着目し、この角度φの大小に応じてステップ幅を縮小して再実行するものである。これは、特性曲線たる解曲線が現実の回路において種々の形態を有し、回路によっては解析不能になるという技術課題を解決する具体的手段として機能するものであり、処理対象の技術的性質に応じた解析処理にほかならない。本願発明では、このような具体的手段を用いることで実用的回路の動作特性を解析でき、仕様どおりの電気特性を有するか否かを検証できるという一定の技術的効果を達成することができるのである。
     イ 純粋数学においても、非線形な曲線を想定し、この曲線を追跡する数学的操作が知られていることは否定しない。しかし、本願発明における非線形な解曲線は、単なる数学上の観念的曲線ではなく、回路の動作特性を規定する特性曲線であって自然法則で記述された回路方程式の解曲線に限定されたものであり、しかも、上記解曲線の解析は、回路シミュレーションの一方法としてのBDF法を用いた解析に限定されたものである。したがって、単に非線形な解曲線を擬似解に収束することなく追跡する数学的操作が知られており、当該数学的操作が一般の非線形曲線に同様に適用できたとしても、そのことをもって本願発明の発明性が否定されるものではない。

     ウ およそ、関係対象物間の定量的関係を方程式その他で規定する物理法則は、非線形連立方程式の形で記述されていたとしても、自然現象の理論的な近似式であり現実の回路の入出力特性の理論的近似式なのであって、現実の回路の入出力特性を一定の精度で近似させたものである。単に人間が観念的に(自然現象から乖離して)創造したものではなく、キルヒホッフの法則により記述された非線形連立方程式であるならば、その方程式を処理することは自然法則の領域そのものであって、観念的な数学の領域に移行するものではない。このことは、以下の事実からも明らかである。
       すなわち、物理法則としての非線形連立方程式が提示され、この方程式を解析することで対象の挙動を知る場合、現実に存在する種々の条件を境界条件あるいは拘束条件として与えることで現実に則した解を得るのであって、現実の条件を無視して単なる数学的問題として純粋に数学的な操作で求解するのではない。単なる数学的問題として非線形連立方程式を求解した場合、この解は非線形連立方程式の数学的な解の一つではあり得ても、それがそのまま物理法則を記述する非連立方程式の解に相当するものではない。

       本願発明においても、本願明細書の段落【0085】に「以下の数値例において、アルゴリズムの各パラメータは経験的に次のような値を用いた。」と記載され、段落【0086】に各種パラメータの数値が示されているとおり、現実の回路から規定される境界条件として、各パラメータの値が経験的に付与され、この条件の下に現実的な解曲線が追跡されることが明らかにされている。
     エ 以上のとおり、本願発明は、その一部に非線形連立方程式を用いていたとしても、その解曲線を追跡する際に、当該非線形連立方程式が現実の回路を反映したものであることに鑑みて各種パラメータを設定して、単なる数学解ではなく現実の回路の特性に合致する解を算出することを当然の前提とし、有限のステップ幅で数値解析するというコンピュータシミュレーション固有の処理を利用して、特定の回路において(予測子と修正子のなす角度が所定値より大きい回路)そのステップ幅を変化させることで疑似解の収束を防止して真の解を算出し、当該特定の回路が所望の動作特性を有するか否かを検証できるのであって、一定の手段を用いることで反復継続して一定の技術的効果を奏する、自然法則を利用した技術的思想の創作である。

       したがって、全体として、純粋に数学的な計算手順のみからなり自然法則を利用した技術的思想の創作とは認められないとした本件審決の認定は誤りである。
 3 被告の反論の要点
   本件審決の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由は、理由がない。
  (1) 本願発明における非線形連立方程式が、回路の物理法則に由来して作成された非線形連立方程式であるという意味で、「回路の特性を表わす非線形連立方程式」であることは、確かに認められるところである。しかし、たとえ「非線形連立方程式」を作成する作業が自然法則を利用したものであり、その作業の結果である「非線形連立方程式」が自然法則に由来するものであるとしても、一旦「非線形連立方程式」の形になってしまえば、その時点で「回路の特性を表わす非線形連立方程式」は、数学上の非線形連立方程式に純化され、自然法則の領域から離れて数学の領域へと移行した問題となることは明らかである。しかも、問題を解決するための処理であるところの「BDF法を用いて該非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く非線形な解曲線を追跡することにより数値解析する」処理手順は、平たく言えば、(非線形連立方程式を直接解くことができないため、)非線形連立方程式の代わりにホモトピー方程式を構成し、このホモトピー方程式の解曲線を追跡して元の方程式の解に到達しようというホモトピー法を採用し、解曲線追跡アルゴリズムとしてBDF法を用いることを記述したものであって、一般的な数学の問題としての非線形連立方程式の解を求める処理と何ら変るところがなく、かつその処理の中に、設計した回路を反映するような技術的な要素は全く見当たらないので、数学の領域での純粋に数学的な計算手順として行われていることは明らかである。
   (2) 本願の請求項1の処理ステップを記載した箇所における処理対象の「解曲線」は、あくまで数学上の非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く解曲線であって、現実の回路の動作曲線そのものではない。また、「解析が不能になる」、即ち、非線形な解曲線が疑似解に収束するのは、あくまで処理が数学の領域で行われることに伴って起こる数学上の問題であって、「回路特性に起因して」起こる技術上の問題ではない。
      そして、「BDF法における予測子と修正子のなす角度が所定値以上と大きい場合に解析ステップを縮小して再計算する」処理において、「予測子」、「修正子」、「予測子と修正子のなす角度」、「所定値」は、あくまで数学的な非線形な解曲線に対する解析の計算手順の中で出現するものであって、設計された現実の回路の物理的な性質に対応するものではなく、当該処理の中に、現実の回路の物理的な性質を反映する要素は全く見当たらないので、当該処理が、処理対象の技術的性質に応じた解析処理であるとする根拠はない。

   (3) 以上のとおり、本願発明は、設計された現実の回路の特性を解析するのではなく、現実の回路の現象とは別の現象である数学の領域において、数学上の手法であるBDF法を用いて解曲線の追跡を行うものであって、疑似解に収束するという数学上の課題を解決するために、数学上の手法である「BDF法固有の」予測子と修正子に着目した数学上の処理を行なうものである。してみれば、本願発明は、回路のシミュレーション方法一般の効果を奏するとしても、全体として、純粋に数学的な計算手順のみからなるものであり、自然法則を利用した技術思想の創作とは認められないと判断せざるを得ない。
第3 当裁判所の判断
 1 特許法2条1項には、「この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と規定され、同法29条1項柱書には、「産業上利用することができる発明をしたものは、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」と規定されている。したがって、特許出願に係る発明が「自然法則を利用した技術的思想の創作」でないときは、その発明は特許法29条1項柱書に規定する要件を満たしておらず、特許を受けることができない。

   そして、数学的課題の解析方法自体や数学的な計算手順を示したにすぎないものは、「自然法則を利用した技術的思想の創作」に該当するものでないことが明らかである。
 2 本願発明の誤認(取消事由)について
   (1) 原告は、本件審決が、本願発明について、その「処理対象は「現実の回路」ではなく、『回路の特性を表す非線形連立方程式』によって表された「回路の数学モデル」である」(2頁)と判断したことを争うものではないが、「上記『BDF法を用いて該非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く非線形な解曲線を追跡することにより数値解析する』は、本願発明の「シミュレーション方法」の処理手順を特定したものであるが、当該特定事項は、純粋に数学的な計算手順を明記したにすぎない」(同頁)と判断したことが誤りであると主張するので、以下検討する。

     ア 本願発明の回路シミュレーションとは、本願明細書(甲2、3)及び本件技術論文(甲4)によれば、設計された回路の仕様を検証して、当該回路の直流動作点や伝達特性などを明らかにするために、設計された回路の中で成り立つ要素的関係と正確に又は近似的に同じ要素関係が成り立つような回路特性を記述した非線形連立方程式を定式化し、これを数値的に解析するものと認められる。
       原告は、本願発明の回路シミュレーションの処理対象が、現実の回路そのものではなく、回路の数学モデルであることは認めるが、当該数学モデルは、いわゆる純粋数学モデルではなく、回路を構成する各素子の電気特性を反映した数学モデルであり、回路を構成する各素子間に成立する自然法則であるキルヒホッフの法則から得られるモデルであって、現実の回路から乖離した観念モデルとして存在するのではないと主張する。

       しかしながら、本願発明の処理対象とされる「回路の数学モデル」について、特許請求の範囲には、「回路の特性を表す非線形連立方程式」と記載されるのみであって、回路の特性を物理法則に基づいて非線形連立方程式として定式化するという以上に、当該非線形連立方程式が現実の回路を構成する各素子の電気特性をどのように反映するものであるかは全く示されておらず、しかも、定式化されたモデルは数学上の非線形連立方程式そのものであるから、このような「回路の特性を表す非線形連立方程式」を解析の対象としたことにより、本願発明が、「自然法則を利用した技術的思想の創作」となるものでないことは明らかであり、原告の上記主張は、失当というほかない。
     イ また、原告は、本願発明における、「非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く非線形な解曲線」が、設計された回路の入力電圧に対する出力電圧や出力電流等の関係を示す特性曲線であり、回路の動作特性を示す曲線である以上、回路の物理的ないし技術的性質を反映したものとなることは当然であり、この「解曲線」をBDF法を用いて追跡することで元の非線形連立方程式の解、すなわち回路の動作特性を解析できることを理由に、本件審決の上記認定が誤りであると主張する。

       しかしながら、非線形連立方程式をもとに構成されたホモトピー方程式が描く非線形な解曲線が、設計された回路の入力電圧に対する出力電圧や出力電流等の関係を示す特性曲線であるとしても、この方程式が描く非線形な解曲線をBDF法を用いて追跡することは、原告が自認するとおり、元の非線形連立方程式の解を求めることにほかならないから、このプロセスは、一般の非線形連立方程式の解法と何ら相違するものではなく、回路の物理的、技術的性質への考察を含むものでない。言い換えれば、本願発明において、現実の回路の物理的特性は非線形連立方程式に反映されるだけであって、その解析には何ら利用されないものであり、創作自体はあくまで、ホモトピー方程式を構成し、BDF法を用いて追跡することに向けられており、一旦非線形連立方程式の形になってしまえば、その解法は数学の領域に移行し、数学的な処理により解析が行われるにすぎないものといえる。そして、原告主張のように、ホモトピー方程式の解曲線を追跡することやBDF法自体が、非線形な特性曲線を呈する回路の動作特性を解析する有効な方法の一つとして、当業者に知られているからといって、そのプロセスが数学的な解析処理にすぎないことが否定されるものでもない。
       したがって、上記解曲線を追跡することは、数学的な手法といえるものであって、「自然法則を利用した技術的思想の創作」を含むものということはできないから、原告の上記主張は採用できず、本件審決が、本願発明の「回路のシミュレーション方法」について、「純粋に数学的な計算手順を明記したにすぎない」と判断したことに誤りはない。
   (2)  原告は、本件審決が、非線形性を有する解曲線の疑似解に収束してしまうことを防止するための本願発明の構成である、「予測子と修正子とのなす角度を計算し、この角度が所定値より大きい場合には、数値解析幅を縮小して再計算する」ことについて、「純粋に数学的な非線形な解曲線に対する数値解析の計算手順(「回路の数学モデル」特有の処理と認められる点はなく、対象の技術的性質に基づいた情報処理に該当しない)にすぎない。(もちろん、現実の回路の特性に応じた処理でもなく、また、回路シミュレーション固有の処理でもない)」(3頁)と判断したことも誤りであると主張するので、検討する。

     ア 原告は、本願発明の、「予測子と修正子とのなす角度φj+1を算出し、この角度φj+1が所定値より大きいか否かを判定する判定ステップと、前記判定ステップにおいて、前記角度φj+1が所定値より大きいと判断された場合には、前記解曲線の追跡の数値解析ステップのj+1番目の数値解を求めるステップをより小さな数値解析ステップ幅によって再実行し、j+1番目の数値解を新たに求め直すステップ」が、非線形な動作特性曲線を呈する回路の特性を解析する一手法であるBDF法の処理をさらに特定したものであって、特性曲線たる解曲線が現実の回路において種々の形態を有し、回路によっては解析不能になるという技術課題を解決する具体的手段として機能するものであると主張する。
       (ア) 本願明細書(甲2)には、次のとおり記載されている。

       a 「1. 3 疑似解収束現象 予測子修正子法に基づく解曲線追跡法に共通した欠点として、修正子アルゴリズムが疑似解に収束して解曲線の追跡に失敗してしまうという疑似解収束現象が知られている(上記文献13参照)。球面法におけるこのような疑似解収束の典型的な例が図8に示されている。この図8において、Γ1は追跡すべき解曲線(パス)、Γ2は他の解曲線(この例ではループ)を表し、更に、Kは超球面を表す。また、矢印は解曲線の方向を表す。この場合、球面と解曲線の交点、つまり修正子方程式を満足する解は全部で6個存在する。このうち、所望の解aを真性解、残りのすべての解b〜fを疑似解という(上記文献13を参照)。解曲線の追跡のすべてのステップで、常に真正解aに収束すれば、最終解まで到達できる。一般に、解くべき方程式の性質と用いるアルゴリズムにより、場合によっては、b〜fのいずれの疑似解にも収束する可能性がある。このような疑似解に収束すると、解曲線の追跡に失敗して最終解が得られなくなることが多い。」(段落【0020】)
       b 「従来のアルゴリズムが疑似解に収束して、解曲線の追跡に失敗する例を図9に基づいて説明する。図9に示されている例は、解曲線Γ1を追跡している例である。従来の球面法のステップ幅制御アルゴリズムでは、概念的に予測子と修正子の差Eが所定値内に収まるようにステップ幅が調整されている(・・・)。すなわち、図9(a)に示されているように、Eが所定値より大きくなった場合に、その球面(破線)を棄却して、より小さな球面(実線)を用いて、予測子修正子アルゴリズムを再実行する。その結果、図9(b)の破線の方向に追跡が進行するが、途中で疑似解に収束して、追跡すべき解曲線Γ1から他の解曲線Γ2に乗り移っていても、これを検出することができない。」(段落【0021】)
       c 「球面法におけるこのような疑似解収束現象には、以下のような様々なタイプがある。本願発明者らのこれまでの経験をもとに(・・・)、実用的な回路で確認されている例が、図10の(a)、(b)〜(l)に列挙して示されている。図10に示されている現象は次にように分類することができる。

      (1)帰還現象 折り返し帰還型(a)
              半島周回帰還型(b)(c)
              離島周回帰還型(d)(e)
      (2)循環現象 離島・湾循環型(f)
              半島循環型(g)
              離島循環型(h)(i)
      (3)準安定現象 半島周回型(j)
               半島側路型(k)
               離島周回型(l)
         このうち、準安定現象に属するものは最終解まで到達する可能性があるので、最終結果だけではそのような現象が生じたかどうかの見分けがつかない。また、帰還現象や循環現象が生じると最終解は得られない。」(段落【0022】【0023】)
       d 「このような疑似解収束現象のうち、すべての帰還現象はその現象に陥った点で修正子方程式のヤコビ行列の行列式の符号が反転することにより検出可能であるので(・・・)、その時点でステップ幅を適当に小さくすれば、このような現象に対し適切に対応することができると考えられる(・・・)。但し、この際に小さくするステップ幅が十分に小さくないと、循環現象や準安定現象に移行することもある。例えば、(b)は(g)に、(d)は(f)や(h)にそれぞれ移行する可能性がある。なお、ヤコビ行列の行列式の符号はLU分解の結果を用いて容易に求めることができる(・・・)。」(段落【0024】)

       e 「循環現象や準安定現象の場合でも、ヤコビ行列の行列式の符号が反転する場合は同様にして対応することができる。但し、図10の(f)、(g)、(h)に示すような場合に有効な対策手段は知られていない。このような疑似解収束現象は一般にステップ幅を十分に小さくすれば原理的には生じないようにすることが可能である。しかし、そのようなステップ幅を事前に予測する実用的な方法はまだ知られていない。またさらに、ステップ幅を常に小さくしたのでは計算効率が悪化してしまうという問題がある。」(段落【0025】)
       f 「1. 4 修正子方程式の非収束現象 修正子方程式のNR反復が非収束の場合、適当にステップ幅を小さく取り直してNR反復を再度実行する方法が用いられる(上記文献12、17参照)。しかし、大規模な系では、次に示すようにさまざまな非収束の状況があり、このような単純なステップ幅制御だけではNR反復が収束しないことがたびたび発生する。

        (1)充填要素の多発 ・・・(中略)・・・
        (2)非発散非収束 ・・・(中略)・・・
        (3)無解 ・・・(中略)・・・ 」(段落【0026】〜【0031】)
       g 「本発明は上記課題に鑑みなされたものであり、その目的は、解曲線をより確実に効率よく追跡し、現実の回路解析において使いやすい連続法を実現することである。」(段落【0032】)
       h 「【課題を解決するための手段】本発明は球面法をもとに、解曲線をより確実に効率よく追跡するための実用的なステップ幅制御アルゴリズムを提案する。」(段落【0033】)
       (イ) 上記記載及び図8〜10によれば、@予測子修正子法に基づく解曲線追跡法に共通した欠点としては、修正子アルゴリズムが疑似解に収束して解曲線の追跡に失敗してしまうという周知の疑似解収束現象がある、Aこのような疑似解収束現象のうち、すべての帰還現象は、その現象に陥った点で修正子方程式のヤコビ行列の行列式の符号が反転することにより検出可能であるので、その時点でステップ幅を適当に小さくすれば、このような現象に対し適切に対応することができると考えられるが、この際にステップ幅が十分に小さくないと循環現象や準安定現象に移行することがある、また、B循環現象や準安定現象の場合でも、ヤコビ行列の行列式の符号が反転する場合は同様にして対応することができるが、そのようなステップ幅を事前に予測する実用的な方法は知られておらず、ステップ幅を常に小さくしたのでは計算効率が悪化してしまう、さらに、C修正子方程式の非収束現象については、特に大規模な系ではさまざまな非収束の状況があり、単純なステップ幅制御だけではNR反復が収束しないこともたびたび発生する、という各種の問題があったこと、本願発明は、これらの問題を解決することを課題とするものであることが認められる。
         そうすると、本願発明の目的は、BDF法を用いてホモトピー方程式が描く非線形な解曲線を数値解析する際に疑似解収束現象や非収束現象が生ずるという問題を解決することにあるというべきところ、それは、数学的手法を用いて解曲線を解析する際に適切な解が得られないという問題を解決しようとすることにほかならないから、本願発明に技術的な課題があるとはいえない。
       (ウ) 原告は、本願発明が、現実の回路の形態によっては解曲線が解析不能になるという技術課題を解決する具体的手段として機能すると主張するが、本願発明で採用された課題解決手段は、「予測子と修正子とのなす角度φj
+1を算出し、この角度φj+1が所定値より大きいか否かを判定する判定ステップと、前記判定ステップにおいて、前記角度φj+1が所定値より大きいと判断された場合には、前記解曲線の追跡の数値解析ステップのj+1番目の数値解を求めるステップをより小さな数値解析ステップ幅によって再実行し、j+1番目の数値解を新たに求め直すステップ」というものであって、回路の物理的性質を考慮した解決手段とは認められず、また、回路の物理的性質に起因するような特殊な非線形連立方程式の解法を求めるものでもなく、一般の非線形連立方程式(疑似解収束現象や非収束現象を生じて解析が困難となる場合と、そうでない場合の双方を含む。)の解法に用いるものと何ら相違しないものである(このことは、本件補正前後で上記の課題解決手段には実質的な変更がないにもかかわらず、本件補正前の本願発明の名称が「連立方程式解法」とされていたことからも明らかといえる。)。
         したがって、原告の上記主張は、採用することができず、本願発明の課題解決手段に「自然法則を利用した技術的思想の創作」があるとはいうことはできない。
       (エ) また、原告は、本願発明が、上記のような具体的手段を用いることで実用的回路の動作特性を解析でき、仕様どおりの電気特性を有するか否かを検証できるという技術的効果を達成することができると主張する。
         しかしながら、本願発明を回路のシュミレーションとして用いることにより原告の主張の効果を達成できるとしても、この効果は、非線形連立方程式の解曲線をBDF法を用いて数学的に解析した結果に基づくものであって、数学的な解が得られたことにより達成されるものであるが、本願発明は、前示のとおり、このような数学的な解析手段を提供しようとするに止まるものであるから、上記の効果は、本願発明自体が有する効果ということはできず、原告の上記主張には理由がない。

     イ 原告は、本願発明における非線形な解曲線は、単なる数学上の観念的曲線ではなく回路の動作特性を規定する特性曲線であって、自然法則で記述された回路方程式の解曲線に限定されたものであり、しかも、上記解曲線の解析は、回路シミュレーションの一方法としてのBDF法を用いた解析に限定されたものであるから、非線形な解曲線を擬似解に収束することなく追跡する数学的操作が知られており、当該数学的操作が一般の非線形曲線に同様に適用できたとしても、そのことにより本願発明の発明性が否定されるものではないと主張する。
       しかしながら、本願発明における非線形な解曲線が、回路の動作特性を定式化した非線形連立方程式の解曲線に限定されたものであり、上記解曲線の解析がBDF法を用いた解析に限定されたものであるとしても、前示のとおり、当該非線形連立方程式及び解析方法自体に「自然法則を利用した技術的思想の創作」が読みとれない以上、上記の限定が付されたことにより、本願発明の発明性が肯定されるということにはならず、原告の上記主張を採用することはできない。

     ウ 原告は、本願発明においては、現実の回路から規定される境界条件として、各パラメータの値が経験的に付与されており(【0085】【0086】)、この条件の下に現実的な解曲線が追跡されることが明らかにされているから、現実の条件を無視して単なる数学的問題として純粋に数学的な操作で求解するのではないと主張する。
       しかしながら、本願発明の非線形連立方程式をどのような境界条件の下で解析するかは、本願発明の特許請求の範囲のおいて全く示されておらず、本願発明の技術的な課題であるとは、到底認められない。また、現実の回路が境界条件を有しているからといって、前示のとおり、数学的な解法を示したにすぎない本願発明が、「自然法則を利用した技術的思想の創作」となるものでないことは明らかである。しかも、原告が経験的に付与されると主張するパラメータの値も、本願発明の特許請求の範囲において特定されておらず、現実の回路との関係も明らかでないから、いずれにしても原告の上記主張は、採用の限りでない。

     エ 以上の説示に照らして、本願発明が、当該非線形連立方程式が現実の回路を反映したものであることに鑑みて各種パラメータを設定して単なる数学解ではなく現実の回路の特性に合致する解を算出することを当然の前提としている旨の原告の主張が、採用できないことも明らかである。
       なお、原告は、回路のシミュレーション方法に関する特許が成立した事例として、特許第3491132号(甲6)及び特許第3535731号(甲7)を提示するところ、仮にこれらの特許が「自然法則を利用した技術的思想の創作」であると認められるとしても、特許出願が発明としての法的要件を具備しているか否かは、当該特許出願の内容に即して個別に検討すべき事柄であるから、上記両特許の事例が、本願発明が「自然法則を利用した技術的思想の創作」ではないとした前記説示に影響を及ぼすものではない(なお、前者の特許は、回路を定式化して方程式とする過程に関する発明であり、後者の特許は、実際の回路要素を用いた素子のモデル化に関する発明であって、いずれも、一旦定式化された後の方程式の解法に関する本願発明とは、事案を異にするものでもある。)。

 3 結論
    以上のとおり、本願発明は、「自然法則を利用した技術的思想の創作」でなく、特許を受けることができないものであり、これと同旨の本件審決には誤りがなく、その他本件審決にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
    よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
   
      東京高等裁判所知的財産第1部
   
             裁判長裁判官   青 柳   馨
   
                裁判官   清 水   節
 
                裁判官   沖 中 康 人