H14. 8.27 東京地裁 平成13(ワ)7196 特許権 民事訴訟事件

平成13年(ワ)第7196号 特許権譲渡対価請求事件
(口頭弁論終結の日 平成14年5月14日)
            判         決
     原      告        A
     訴訟代理人弁護士        内  藤  義  三
     同               大  見     宏
     同               三 木 浩太郎
     被      告        ファイザー製薬株式会社
     訴訟代理人弁護士        中  島  和  雄
     補佐人弁理士            松  居  祥  二
     同               室  伏  良  信
            主         文

     1 原告の請求を棄却する。
     2 訴訟費用は原告の負担とする。
            事実及び理由
第1 原告の請求
   被告は,原告に対し,7000万円及びこれに対する平成13年4月20日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
   原告は,被告会社の有する後記特許権の特許出願に当たり共同発明者として願書に記載された者である(特許公報(甲1)においても,その旨記載されている)。原告は,当該特許権に係る発明は,原告が被告会社に従業員として在籍当時に他の従業員と共同で発明した職務発明であるところ,特許を受ける権利の譲渡に対する相当な対価が支払われていないと主張して,特許法35条3項に基づき,前記第1(原告の請求)記載のとおりの金銭支払を求めている。

 1 前提となる事実関係(当事者間に争いのない事実並びに各末尾記載の証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実)
  (1) 被告は,世界有数の医薬品メーカーである米国ファイザー製薬(「Pfizer Pharmaceuticals Inc.」。以下「米国ファイザー」という。)の,我が国における100パーセント子会社であり,医療品,医療用具の製造・販売・輸出入等を業としている。
    原告は,平成元年に被告会社に入社し,平成12年3月に退社するまで,ほぼ一貫して製剤部門の研究・開発に従事していた。
  (2) 被告会社は,その出願に係る下記の特許権(以下「本件特許権」という。)を有しているが,その特許出願の願書には,原告が,B及びCと共に共同発明者として記載されている(本判決末尾添付の特許公報〔甲1〕参照)。
      発明の名称   細粒核

      特許番号    第2576927号
      出願日     平成4年(1992)5月15日
      登録日     平成8年(1996)11月7日
      特許権者    被告会社
    また,本件特許権に係る明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(以下,請求項1ないし6記載の各発明を総称して「本件発明」という。)。
   【請求項1】主薬と少なくとも26重量%の結晶セルロースとを含み,かつ80〜400μmの平均粒子径を有することを特徴とする細粒核。
   【請求項2】前記結晶セルロースの含有量が60重量%以上であることを特徴とする請求項1記載の細粒核。
   【請求項3】前記主薬が,スルタミシリンまたはその薬学的に許容される塩であることを特徴とする請求項1または2記載の細粒核。

   【請求項4】撹拌造粒法により請求項1記載の細粒核を製造することを特徴とする細粒核の製造方法。
   【請求項5】撹拌機(アジテーター)の回転速度が25〜600回転/分であり,粉砕機(チョッパー)の速度が0〜4600回転/分であることを特徴とする請求項4記載の細粒核の製造方法。
   【請求項6】請求項1または2記載の細粒核をコーティングしてなることを特徴とする細粒剤。
  (3) 原告は,平成元年3月ころ,名古屋所在の被告会社の新薬開発センター製剤研究室長となったが,被告会社従業員であるB(前記のとおり,本件発明の共同発明者として願書に記載されている者である。以下「B」という。)の直接の上司であった。
    平成元年当時,被告会社においては,小児用ユナシン細粒剤の製造方法として,核(白糖)に主薬(トシル酸スルタミシリン)を吹き付け,その上にジクロルメタン等で溶解した高分子コーティング剤をコーティングするバルクコーティング法を採っていたが,核が非球面状で凹凸が多いため,主薬やコーティング剤を均一にコーティングすることが困難であり,特に主薬がトシル酸スルタミシリンのように苦味の強い薬剤である場合には,苦味防止のため何層もコーティングしなければならず,生産効率が悪いという問題があった。また,コーティングに用いる有機溶剤ジクロルメタン(メチレンクロライド)は人体に有害なので,それが残留しないよう注意して製造しなければならないという制約もあった。

    同年12月ころ,米国ファイザーから被告会社に対して,ジクロルメタンを使用しない各種製品の製造法を開発するように要請があったことから,原告は,部下であるBに対し,製造コストが低く,かつ,ジクロルメタンを使用しない細粒剤の製造方法の開発を命ずるとともに,自らもこのような細粒剤の製造方法について検討を始めた。
  (4) 検討の過程において,原告は,寺下敬次郎,大池敦夫,加藤雅也及び宮南啓の著作に係る「高速撹拌型造粒機の造粒過程及び造粒終点」と題する論文(薬学雑誌107号〔昭和62年発行〕377頁以下。甲9)及び京野潔,寺下敬次郎及び宮南啓の著作に係る「標準処方を用いた撹拌造粒−粒度分布に及ぼす操作条件の影響−」と題する論文(粉体工学会主催第5回製剤と粒子設計シンポジウム講演要旨集〔昭和63年発行〕68頁。甲10。以下,両論文を併せて「寺下論文」という。)を見つけた。原告は,本件特許権の特許出願前に,寺下論文をBに交付した。

    平成元年当時,高速撹拌造粒機を用いて細粒核を得ることは一般に知られていたが,造粒過程,造粒終点,操作条件及び結合材の与える影響が明らかでなかったため,表面が粗く粒が不揃いの核しか得られなかったり,真球度の高いものが得られても低収率であったりした。寺下論文は,コーティング可能な真球度の高い細粒核を高収率で得ることを課題とし,そのような細粒核の製造に関して,造粒過程や造粒終点,また操作条件(とりわけアジテーターやチョッパーの回転速度)や結合材の添加方法との関係を実験結果に基づいて分析し,報告するものであった。
    なお,寺下論文において論じられた細粒核は,白糖,コーンスターチ,結晶セルロース(商品名「アビセル」)等数種の賦形剤を混合したもので,本件発明のように主薬と賦形剤(結晶セルロース)を混合したものではなかった。もっとも,主薬と賦形剤を混同して細粒核を作ること自体は,当時既に公知の技術であった(本件明細書「発明の詳細な説明」欄の段落【0002】)。

  (5) Bは,製造コストが低く,かつ,ジクロルメタンを使用しない細粒剤の製造方法の開発に際し,いくつかの方法を候補として考えていたが,平成2年4月ころまでに,これらの方法に関する資料を作成して原告に交付した。
    同資料には,4つの方法が対策として記載されていたが(以下,これらの方法をその番号に従い「対策1」などという。),対策1及び2は,コーティングの溶媒としてジクロルメタンの代わりに水−エタノール系(対策1)又はエタノール(対策2)を用いるもの,対策3は,バルク・コーティング法に代えて高速撹拌造粒機による造粒を行うとともに,コーティングの溶媒としてジクロルメタンではなく水−エタノール系を使用するもの,対策4は,バルクコーティング法に代えて押出造粒機及びマルメライザーによる造粒を行うとともに,コーティングの溶媒としてジクロルメタンではなく水−エタノール系を使用するものである。

  (6) Bは,同月ころ,新潟県内所在の信越化学に出張し,同所の設備を用いて細粒核の製造実験をした。同実験は,ユナシンを含む細粒を押出造粒法により製造するもので,前記の対策4に基づくものであったが,十分に真球度の高い細粒核を得ることはできなかった。
  (7) 原告は,Bから交付された前記(5)記載の資料に基づき,これを英訳した資料(乙1の2)を作成して,同年6月,米国ファイザーから来訪した研究者との打ち合わせに使用した。
  (8) 同年8月9日,Bは,神戸市所在の深江工業株式会社に出張し,同社に設置された高速撹拌造粒機を用いて,細粒核の製造実験を行った。同実験は上記の対策3に基づくものであったが,実験の結果,真球度の高い細粒核が高収率で得られた。
    なお,同実験においては,主薬と賦形剤である結晶セルロース(商品名「アビセル」)を混合して核を造粒しているが,結晶セルロース(アビセル)の重量%は69%で,従前の例に比べて高い数値に設定されていた。

  (9) Bは,深江工業における実験で好結果を得た旨を原告に報告し,同年11月ころから,原告と適宜協議しつつ,同実験で得られた細粒核の最適化実験を重ねた。そして,深江工業の実験においてそうであったように,結晶セルロース(アビセル)の処方量を多くすれば,コーティングに適した粒径の小さい核が多く得られることを発見した(乙12等)。
  (10)平成3年8月末になって,原告は,Bに対し,上記実験で得られた細粒核の特許出願を勧めるとともに,自らも出願を推進すべく被告会社特許部と折衝を重ねた。
    Bは,公知例との比較データを得るための実験プロトコールを作成して特許部に提示したが,同部の担当者であったC(前記のとおり,本件発明の共同発明者として願書に記載されている者である。以下「C」という。)は,これを不十分とみて自らプロトコールを作成し,原告及びBに実験を促した。Bは,これを受けて更に公知例や比較例に関する実験を行った。

  (11)原告,B及びCは,上記(10)の過程で,粉体工学会(製剤と粒子設計部会)主催のシンポジウムの講演要旨集において,@賦形剤として,白糖やコーンスターチなどを用いず,結晶セルロース(アビセル)を100%用いた造粒方法(平成2年10月24日・25日開催第7回製剤と粒子設計シンポジウム講演要旨集〔平成2年10月発行〕89頁。乙15)や,A結晶セルロース(アビセル)200グラム及びコーンスターチ600グラムを賦形剤として用いた(結晶セルロースの重量パーセントは25%)撹拌造粒方法(平成3年10月23日・24日開催第8回製剤と粒子設計シンポジウム講演要旨集〔平成3年10月発行〕146頁。乙13)が,記載されていることを知った。
    そこで,原告及びCは,明細書の草稿を作成するに際し,専ら上記公知例との抵触を避けるために,結晶セルロースの重量パーセントを「少なくとも26パーセント」(【請求項1】)と限定して特許請求の範囲を画することにした。

  (12)以上のような経過を経て,被告は,平成4年5月15日に本件発明を特許出願した。
 2 争点
   上記の事実関係を前提に,被告は,@本件特許権の特許出願の願書には,原告が本件発明の共同発明者として記載されているが,真実はそうではなく,原告は発明者でないから,そもそも,特許法35条3項の相当対価請求権を根拠とする原告の本訴請求は理由を欠く,A仮に原告が共同発明者であったとしても,本件においては,「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」(同条4項)が存在しないから,原告の本訴請求には理由がない旨を主張する(詳細は後記第3記載のとおり。)。
   したがって,本件における争点は,次の2点である。
  (1) 原告は,本件発明の共同発明者か(争点1)。
  (2) 原告が共同発明者である場合,特許法35条3項の「相当の対価」の額はいくらか(争点2)。

第3 当事者の主張
 1 争点1について
  (原告の主張)
  ア 特許発明の技術的範囲は,明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて解釈されなければならないが,本件のように発明者が誰かを認定する場合には,特許請求の範囲における個々の記載とは別に,明細書に記載された発明が実際にどのように着想され,具体化されたものかを検討する必要がある。
    なぜなら,相当対価請求権(特許法35条3項)の根拠となる譲渡の対象になった発明とは,その時点で現実になされた発明のすべてを意味しており,その後になされた明細書の記載に限定されるものではないはずだからである。特許請求の範囲が広すぎて登録を受けられなかった場合や,逆に狭すぎて権利行使できなかった場合を考えてみればわかるとおり,明細書の特許請求の範囲に記載された内容は,登録を受ける権利を譲り受けた出願人の特許出願手続上の成功又は失敗が反映されたものでもある。したがって,相当対価請求権を検討するにあたっては,発明の実体に即して判断することが必要である。

  イ そこで,本件発明の実体についてみると,従来,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造することは知られていたが,真球状かつ表面が滑らかで,粒度分布が狭く,コーティング可能な核を得ることはできなかった。他方,原告が見つけだした寺下論文は,コーティング可能な重質球形細粒を高収率で得る方法について論ずる内容であるものの,そこで得られた核は数種の賦形剤を混合して造粒したもので,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造することは開示されていなかった。このような状況の下,原告は,寺下論文のように賦形剤だけからなる核をコーティングしても,従来方法であるバルクコーティング法(前記第2,1(3)参照)の課題が十分に解消されるものではなく,むしろ,同論文で開示された真球度の高い核を造粒する方法と,主薬と賦形剤を混合して核を作る方法とを組み合わせれば,主薬と賦形剤を混合した真球状のコーティング用細粒核が高収率で得られること,そして,このような細粒核が得られれば,主薬の吹き付け工程を省略でき,また核表面に露出する主薬の量を少なくすることができて,より少ないコーティング量とコーティング時間で苦味防止が可能となり,製造時間の大幅な短縮とジクロルメタン削除という課題が同時に達成されることを着想した。
    上記のとおり,ユナシン細粒剤の製造工程短縮及びジクロルメタンの削除を目的とし,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する技術と,寺下論文に開示された真球状のコーティング用細粒核を高収率で得る方法を組み合わせることを着想したのは原告である。そして,平成2年1月ころ,原告が同論文をBに提示したことにより,Bが各種実験を行うなどして上記着想が具体化し,本件発明が完成したのである。
    特許請求の範囲の記載からは必ずしも明らかではないが,本件発明が実際に小児用アジスロマイシン細粒(商品名「ジスロマック」)に用いられていることからわかるとおり,本件発明の重要な効果は,苦味成分を有する主薬に対する効率のよい苦味マスキングを施すことにあり,発明の実体もそこにある。そして,このような苦味マスキングを実現するため,主薬と賦形剤を混合する技術と真球度が高い細粒核を高収率で得る技術を組み合わせた点に,本件発明の特徴が存するのである。

  ウ しかるに,本件発明の共同発明者として願書に記載されているCは,原告が本件発明の効果として認識した苦味防止のためのコーティング行程の短縮化を重視せず,主薬を苦味成分のあるものに限定しないで,専ら結晶セルロースを多く含むことで,真球度が高く,粒度分布の小さい主薬を含有する細粒核を提供する点に本件発明の効果を求めた。また,本件発明の特許出願に至る過程で,結晶セルロースを25重量パーセント含む公知例の存在が明らかになったので,特許請求の範囲を画するに際し,この公知例との抵触を避ける必要があった(前記第2,1(11)参照)。
    以上のような事情から,特許請求の範囲を画するにあたって,「主薬と少なくとも26重量%の結晶セルロースとを含み」(特許請求の範囲【請求項1】)との数値限定がされ,明細書の「発明の詳細な説明」欄にも,「本発明の細粒核は,結晶セルロースを26重量%用いたところにその主たる特徴がある」(段落【0011】),「本発明は,主薬と少なくとも26重量%の結晶セルロースとを含み,かつ80〜400μmの平均粒子径を有する細粒核であるので,真球度が高く,粒度分布の小さい主薬を含有する細粒核を提供するという効果を奏するものであり,より精密で効率のよいコーティングができるという効果を有するものである」(段落【0046】)との各記載がされることとなった。これらによれば,一見,本件発明の特徴は,賦形剤である結晶セルロースの重量パーセントを多くしたことであるかのようにも見える。しかしながら,本件発明の実体に照らしてみれば,上記イにおいて述べたとおり,その特徴は,あくまで,主薬と賦形剤を混合する技術と真球度が高い細粒核を高収率で得る技術を組み合わせた点に存するのである。

  エ 上記のとおり,原告は,苦味を防止するとともにコーティング工程を短縮するという課題の解決方法として,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する技術と,寺下論文に開示された真球度の高いコーティング用細粒核を高収率で得る技術とを組み合わせる着想を提供したものであり,それ以後も,Bと繰り返し協議を行い,自らも味覚試験を行うなどして着想を具体化する作業を行っている。
    したがって,原告は,新着想を提供した者であると同時に,新着想を具体化した者ということができるから,本件発明の共同発明者と認められる。
  (被告の主張)
  ア 原告は,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する技術と,寺下論文に記載された真球状のコーティング用細粒核を高収率で得る方法を組み合わせたことが本件発明の特徴である旨を主張する。

    しかしながら,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造すること自体は既に公知であった上に(前記第2,1(4)参照),従来方法であるバルクコーティング法において,主薬を核の上から吹き付けていたのは,白糖の核内に主薬が入り込む余地がないからで,仮にこのような核に替わってコーティングに適した核が得られるならば,最初から核の中に主薬を混ぜ込んでしまえば,主薬の吹き付け工程が省略できるのみならず,主薬の苦味成分の露出も減少できて一挙両得となるのは自明の理である。また,バルクコーティング法において,何層ものコーティングが必要であったのは,専ら核の表面に凹凸が多かったことが原因であるから,真球度の高い核を得ることができれば,その分コーティングに要するコストが減るのも,また自明のことである。さらにいえば,主薬を含みかつ真球度の高いコーティング核を得ることによって,コーティング回数を劇的に減らすことができれば,ジクロルメタンに替わる溶媒として想定されるエタノール/水の乾燥に要する時間を低減することができる。したがって,ジクロルメタン削除の観点からも,このようなコーティング核の開発が有益であることは容易に理解できる。
    上記によれば,原告が本件発明の特徴であると主張する,主薬を含む真球状の細粒核の造粒は,原告独自の着想と呼べる性質のものではなく,いわば発明が解決すべき課題そのものである。本件明細書においても,「真球度が高く,粒度分布の小さい主薬を含有する細粒核を提供すること」(段落【0008】)は,課題を解決するための手段(段落【0009】以下)ではなく,発明が解決しようとする課題(段落【0003】以下)に位置づけられていることに留意すべきである。
  イ また,原告は,平成2年1月ころに,原告がBに寺下論文を提示したことにより,Bが同論文に開示された造粒法に基づく実験を実施し,そのことによって本件発明の着想が具体化した旨を主張する。
    しかしながら,本件発明は,以下に詳述するとおり,そもそも,被告会社の名古屋工場新薬開発センター製剤研究室の研究員であったBが,独力で課題解決のためのアイデアを着想し,具体化して,特許部社員であったCが作成した実験プロトコールに従って実施例や比較例に関する実験を行うことにより完成したものである。Bが寺下論文に接したのは,前記深江工業での実験(前記第2,1(8)参照)の後,本件発明の内容を具体化し,特許出願に至る過程においてであって,原告が主張するように,平成2年1月ころに原告がBに寺下論文を提示した事実など存在しない。

    すなわち,Bは,被告会社の製剤工場現場に勤務していた当時,主薬と賦形剤を混合して湿式造粒攪拌機で造粒したところ,たまたま一度限りのことであるが,きれいに粒の揃った微細球状粒子ができたことを経験していた。また,結晶セルロースは保水性が大きく,造粒しやすい利点があったことから,賦形剤として結晶セルロースを用いて造粒することも経験していた。このような経験を有していたことから,Bは,製造コストが低く,かつ,ジクロルメタンを使用しない細粒剤の製造方法の開発という課題を与えられた際(前記第2,1(3)参照),コーティング核を造粒する場合にも,主薬と賦形剤である結晶セルロースを混合し,湿式撹拌造粒法を用いれば,表面が滑らかで真球度の高い核が得られるのではないかと考え,自ら実験計画を策定して,上司である原告の承諾を得た上,深江工業に出張して高速撹拌造粒機による実験を行った。その結果,真球度の高い細粒核を高収率で得ることができたので,その旨原告に報告し,その後約1年をかけて,細粒核のその他の成分,攪拌機の操作条件等に関する実験を繰り返した。平成3年8月末に至り,原告から特許出願を勧められ,公知例との比較実験を行うべく,被告会社特許部にプロトコール(乙1の4)を提示したが,同部の担当者であったCは,これを不十分とみて,自ら実施例,比較例に関する実験プロトコールを作成し,これに従った実験をしない限り発明は未完成と思われる旨を原告及びBに伝えた(乙1の5)。そこで,Bは,独力で上記プロトコールに従った実験を行い,平成4年5月の特許出願にこぎ着けた。Bが寺下論文に接したのは,深江工業での上記実験の後,おそらくは特許出願に至る過程の中で公知例を検索した時のことと思われるが,同実験を実施したことは,上記のとおり,Bの個人的体験に基づくB自身の着想であり,同実験より前に原告から寺下論文を提示された事実は存在しない。
    以上のとおり,Bは,本件発明を着想し,Cの創案した作用効果確認の実験プロトコールに従い,実施例,比較例の実験を独力で行って発明完成したものである。

  ウ 原告は,Bが本件発明を着想し,具体化して完成するまでの間,製剤研究室長として実験の承諾を与えたり,Bから報告を受けたりしており,また,Bに特許出願を勧めた上,特許部と折衝を重ねて内部文書や明細書草稿の作成に関わるなど,積極的に出願過程に関与した。しかし,これらはいずれも管理職としての行動の範囲を出るものではなく,本件発明に対する創作的貢献はまったくしていない。
    そのような原告が共同発明者として願書に記載されていた理由は,当時被告会社の特許部長であったDの陳述書(乙2の1)に記載のとおりであるが,要するに,当時の被告会社における特許出願業務の実態として,しかるべき管理職から出願依頼があった場合は,関係書類に発明者として表示された者を真正な発明者として扱い,その点に関する個別審査を改めてすることは,原則としてなかった。本件発明の場合にも,製剤研究室長である原告から出願依頼があり,原告自身が特許出願に非常に熱心で,自ら資料を作成したりしていたので,原告がBとともに共同発明者であることに別段疑いは持たなかった。また,本件発明については,日本国内でのみ出願し,発明者の表示に厳格な法制度を採る米国での出願はしないことにあらかじめ決まっていたから,その意味でも,発明者が誰か厳密に審査する必要性は存在しなかった。上記のような事情から,本件発明の特許出願に当たって,原告は,本件発明を着想・具体化したB,及び,実施例・比較例の実験プロトコールを創案して同発明を完成させたCと共に,願書に共同発明者として記載されたのである。

 2 争点2について
  (原告の主張)
   本件発明に関しては,被告から原告に対し,被告社内の職務発明報酬基準に基づく報償金として,出願時に1万円,原告が退社した後の平成12年12月に更に6000円が支払われたが,特許法35条3項,4項に定める相当対価の支払はされていない。
   そこで上記相当対価を算定すると,本件特許権は,平成12年6月から被告会社商品「ジスロマック」の小児用細粒に実施されており,その年間売上額は約31億円に達するものと思われる。本件特許権の存続期間は平成24年5月14日までであり,存続期間満了まで実施されると仮定すれば,その売上高は約372億円になることが見込まれる。上記実施に関する実施料率は販売価格の5%程度と推認されるから,被告が取得すべき実施料額は約18億円(372億円×0.05)となる。原告ら発明者の寄与度が3分の1を下回ることはないと考えられるので,権利の残存期間すべてを通じて実施されるとは限らないこと,実施品の売上予想には不確定要素が残ることなどの諸事情を考慮に入れても,発明者らの受けるべき対価は3億円を下らない。本件発明の共同発明者は3名であり,共有の推定と同様に考えれば原告の受けるべき対価は1億円である。

   原告は,そこから前記の名目的な報償金を控除した残金のうち7000万円を,本訴において請求する。
  (被告の主張)
   被告から原告に対し,合計1万6000円の報償金が支払われたこと,上記「ジスロマック」の年間推定売上額が約31億円であることを除き,原告の上記主張を争う。
   職務発明に関して,使用者は,権利の承継と関係なく無償の通常実施権を取得する(特許法35条1項)のであるから,同条4項の「その発明により使用者等が受けるべき利益」とは,単に発明を実施したことによる利益ではなく,権利を承継したことにより,その技術的範囲に属する商品の第三者による製造を禁止することができ,その結果使用者等が独占できた利益のことを指すものと解すべきである。しかるところ,本件における相当対価算定において,原告が採り上げている被告商品「ジスロマック」は,主薬であるアジスロマイシンにつき米国ファイザーの物質特許等が存在するから,他社はそもそも初めからアジスロマイシンを主薬とする細粒剤を製造することができないのであって,そもそも本件特許権の承継とは関係なく,第三者に対する禁止的効力が存在する。したがって,本件においては,上記使用者等が独占できた利益が存在せず,「その発明により使用者等が受けるべき利益」がないというべきである。

第4 当裁判所の判断
 1 争点1について
  ア 前記「前提となる事実関係」欄(前記第2,1)に記載の事実に証拠(甲1,5〜10,乙1の1〜5,2の1〜6,5の1〜5,9,13,15,証人B,証人D,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,本件特許権の特許出願に至る経緯は,次のとおりである。
  (1) 平成元年当時,被告会社においては,ユナシン細粒剤の製造方法として,核(白糖)に主薬を吹き付けた上,ジクロルメタン等で溶解した高分子コーティング剤をコーティングするバルクコーティング法を採っていたが,核の真球度が低く凹凸が多いため,主薬やコーティング剤を均一にコーティングすることが困難で,主薬の苦味防止のため何層もコーティングしなければならず,生産効率が悪いという問題があった。また,ジクロルメタンについては人体への有害性が指摘されており,同年12月ころ,米国ファイザーから,被告会社に対して,ジクロルメタンを使用しない細粒剤の製造方法を開発するようにとの要請があった。

    このような事情から,当時,被告会社の製剤研究室長であった原告は,部下のBとともに,製造コストの低減及びジクロルメタンの排除を可能にする細粒剤の製造方法の開発に取り組み始めた。
  (2) 細粒用コーティング核は,賦形剤,崩壊剤,結合剤,潤滑剤等に必要に応じて主薬を加えて形成されるものであり,主薬と賦形剤を混合して核を作る技術も公知であった(本件明細書「発明の詳細な説明」欄の段落【0002】,甲5〔原告本人作成の陳述書〕9頁,原告本人尋問調書64〜67頁)。当時,このような細粒用コーティング核の賦形剤としては,澱粉,白糖,乳糖,D−マンニトール,第二燐酸カルシウム等が知られており,細粒用コーティング核を得る一般的製造方法としては,押し出し造粒法,核への層積法,撹拌造粒法などが知られていた(本件明細書段落【0002】)。

    しかしながら,当時のこのような造粒法では,真球度が高く,しかも粒度分布の小さい細粒用コーティング核を得ることは困難であった。すなわち,例えば,従来の賦形剤を用いて押し出し造粒法で細粒用コーティング剤を製造した場合,得られた細粒用コーティング核は,粒度分布が均一でなく,コーティング核の細粒化が困難であり,さらに形状も球状でないため,得られるコーティング核にコーティングを施す際に,その効率や再現性が悪いなどの問題を有していた。
    また,高速撹拌造粒機を用いて細粒核を得ることも,当時,一般に知られていたが,造粒過程,造粒終点,操作条件及び結合材の与える影響が明らかでなかったため,表面が粗く粒が不揃いの核しか得られなかったり,真球度の高いものが得られても低収率であったりした。

  (3) 平成2年初めころ,原告は,寺下論文(前記のとおり,「高速撹拌型造粒機の造粒過程及び造粒終点」と題する論文〔甲9〕及び「標準処方を用いた撹拌造粒−粒度分布に及ぼす操作条件の影響−」と題する論文〔甲10〕)を見つけ,そのころ,これをBに交付した。
    寺下論文は,コーティング可能な真球度の高い細粒核を高収率で得ることを課題とし,そのような細粒核の製造に関して,造粒過程や造粒終点,また操作条件(とりわけアジテーターやチョッパーの回転速度)や結合材の添加方法との関係を実験結果に基づいて分析し,報告するものであった。同論文においては,白糖,コーンスターチ,結晶セルロース(商品名「アビセル」)等数種の賦形剤を混合し,アジテーターの回転速度を300〜500rpmにするなどの条件設定をした上,高速撹拌造粒機を用いて造粒したところ,上記混合した賦形剤からなる真球度の高い細粒核が得られたとの結果が記載されていた。

  (4) Bは,原告から交付された寺下論文の内容等を参考にして,平成2年4月ころまでに,製造コストが低く,かつ,ジクロルメタンを使用しない細粒剤の製造方法に関する資料(乙5の4,乙7は,その一部)を作成して,原告に交付した。
    同資料には,4つの方法が対策として記載されていたが,対策1及び2は,コーティングの溶媒としてジクロルメタンの代わりに水−エタノール系(対策1)又はエタノール(対策2)を用いるもの,対策3は,バルク・コーティング法に代えて高速撹拌造粒機による造粒を行うとともに,コーティングの溶媒としてジクロルメタンではなく水−エタノール系を使用するもの,対策4は,バルクコーティング法に代えて押出造粒機及びマルメライザーによる造粒を行うとともに,コーティングの溶媒としてジクロルメタンではなく水−エタノール系を使用するものである。

   (なお,被告は,Bが原告から寺下論文の交付を受けた時期を争うが,後記(5)記載のとおり,Bが深江工業において行った実験の内容は,寺下論文に記載された内容との類似点が多く,寺下論文の示唆なしに行われたものとは考えられない。また,Bは,原告から交付された寺下論文〔甲10〕のコピーに,手書きで「HPC水溶液」との書き込みをしており,この意味は「小さい粒径」の造粒物を製造するためには,(粉末混合系ではなく)水溶液系の方法を用いるという趣旨と解されるが,Bが深江工業において行った実験は,結合材であるHPCを他の粉体試料と共に造粒機内に仕込み,混合後,結合液(水)を添加して造粒を行うという「粉末混合系」の造粒方法を用いたものであり,このように「粉末混合系」の方法を用いた実験により良好な結果を得ていることに照らせば,この書き込みが深江工業に赴いた後にされたというのは不自然であり,むしろ,深江工業に赴く以前に,実験の対象として想定される対象として,水溶液系の方法を含めたものを書き留めたと認めるのが自然である。また,前記資料における対策3については,Bがそれまでに高速撹拌造粒機を用いた経験を有しなかったことに照らせば(B証人尋問調書11,31,32頁),寺下論文による示唆なしに,高速撹拌造粒機を用いた方法を想起するとは考え難く,この点に照らせば,Bは,前記資料作成前に,原告から寺下論文の交付を受けていたと認めるのが相当である。)
  (5) 平成2年8月9日,Bは,深江工業に出張し,同社に設置された高速撹拌造粒機を用いて,細粒核の製造実験を行った。Bは,深江工業の専門技術者であるEと事前に実験の条件設定について協議した上で,実験を実施した。同実験においては,主薬を30(重量)%,賦形剤である結晶セルロース(アビセル)を69%,結合剤であるHPCを1%の割合で混合したものに水を加え,アジテーターの回転速度を300〜400rpmとし,チョッパーの回転速度を2000〜3600rpmとするなどの条件設定をした上,高速撹拌造粒機を用いて撹拌する造粒方法が採られているが,このうち,結晶セルロース(アビセル)を69%用いること,アジテーター及びチョッパーの回転速度を上記のように設定することは,いずれもEの発案に基づくものであった(B証人尋問調書18〜22頁,51頁,72頁)。同実験の結果,真球度の高い細粒核が高収率で得られた。

    同実験は,高速撹拌造粒機を用いる点,HPC及び結晶セルロース(アビセル)を使用する点で寺下論文に記載された方法と共通しており,その条件設定も,結合材であるHPCを粉体材料と共に造粒機内に仕込み,混合した後,結合液(水)を添加して造粒を行う点で寺下論文(甲10)に記載された「粉末混合系」の造粒方法と差異がなく,アジテーター及びチョッパーの回転速度も,寺下論文(甲10)に示されている範囲と一部重複している。
  (6) Bは,深江工業における実験で好結果を得た旨を原告に報告し(乙1の3),同年11月ころから,原告と適宜協議しつつ,同実験で得られた細粒核の最適化実験を重ねた。そして,深江工業の実験においてそうであったように,結晶セルロース(アビセル)の処方量を多くすれば,コーティングに適した粒径の小さい核が多く得られることを発見した。

  (7) 平成3年8月末になって,原告は,Bに対し,上記実験で得られた細粒核の特許出願を勧めるとともに,自らも出願を推進すべく被告会社特許部と折衝を重ねた。
    Bは,公知例との比較データを得るための実験プロトコールを作成して特許部に提示したが,同部の担当者であったCは,これを不十分とみて自らプロトコールを作成し,原告及びBに実験を促した。Bは,これを受けて更に公知例や比較例に関する実験を行った。
  (8) 原告,B及びCは,上記(7)の過程で,粉体工学会(製剤と粒子設計部会)主催のシンポジウムの講演要旨集において,@賦形剤として,白糖やコーンスターチなどを用いず,結晶セルロース(アビセル)を100%用いた造粒方法(平成2年10月24日・25日開催第7回製剤と粒子設計シンポジウム講演要旨集〔平成2年10月発行〕。乙15)や,A結晶セルロース(アビセル)200グラム及びコーンスターチ600グラムを賦形剤として用いた(結晶セルロースの重量パーセントは25%)撹拌造粒方法が紹介されていること(平成3年10月23日・24日開催第8回製剤と粒子設計シンポジウム講演要旨集〔平成3年10月発行〕シンポジウム講演要旨集146頁。乙13)が,記載されていることを知った。

    特許部のD部長及びCは,結晶セルロースの重量パーセントが25%以下では,上記文献との関係で特許性を有しないと考え,原告と協議の上,専ら公知例との抵触を避け,かつ,特許発明の範囲を最大とする目的で,結晶セルロースの重量パーセントを「少なくとも26パーセント」(特許請求の範囲【請求項1】)と限定して特許請求の範囲を画することにした。本件発明において結晶セルロースの重量パーセントが「少なくとも26パーセント」とされているのは,このように公知例との抵触を避け,かつ,特許発明の範囲を最大とすることのみを目的として,上記数値が机上で決定されたものであって,「結晶セルロースが26重量%より少ない場合には,従来の核と同様,核表面が粗く,摩損し易いため,コーティングとの均一性が損なわれ,過剰のコーティング材料を必要とし,作業時間も長いなどの問題点が生じ,効率が悪いという問題を有する。」(本件明細書段落【0011】)という点を裏付ける実験は,一切行われていない(乙2の1〔D作成の陳述書〕4頁,D証人尋問調書3〜5頁,B証人尋問供述調書22〜23頁,74〜76頁)。
  (9) 上記のような経過を経て,被告会社は,平成4年5月15日に本件発明を特許出願した。
    当時,被告会社においては,国内出願の優先権に基づく米国出願を行う可能性のある発明については,国内出願の段階から願書に記載する発明者として真の発明者を表示することを厳格に行っていたが,そうでない場合には,社内において,特許部に対して特許出願を依頼する文書が管理職を共同発明者として提出されれば,特許部において特段の確認を行うこともなく,その者を共同発明者として願書に記載して出願を行っていた。本件発明については,米国における出願は予定されておらず,国内においてのみ出願するものであったので,新薬開発センターから提出されていた米国ファイザーあての特許出願依頼書(乙2の2)に原告とBが共同発明者として記載されていたことから,被告会社特許部は,この両名を共同発明者とし,さらに実験プロトコールを案出して本件発明の特許出願に貢献したCをも共同発明者の1人に加え,結局,願書に共同発明者としてこの3名を記載して,本件発明についての特許出願を行った(乙2の1,D証人)。

  イ 上記の事実関係を前提として,原告が本件発明の共同発明者かどうかを検討する。
  (1) まず,本件明細書の記載に基づいて,本件発明の内容をみるに,本件明細書における特許請求の範囲には,前記「前提となる事実関係」欄(前記第2,1(2))に記載のとおり,請求項1ないし6が記載されている。
    そして,本件明細書の「発明の詳細な説明」欄には,「本件発明の細粒核は,結晶セルロースを26%以上用いたところにその主たる特徴がある。」(段落【0011】)と記載され,また,発明の効果として,「本発明は,主薬と少なくとも26重量%の結晶セルロースを含み,かつ80〜400μmの平均粒子径を有する細粒核であるので,真球度が高く,粒度分布の小さい主薬を含有する細粒核を提供するという効果を奏するものであり,より精密で効率のよいコーティングができるという効果を有するものである。」(段落【0046】)と記載されているのであって,これらの記載によれば,本件発明の特徴は,結晶セルロースを26重量%以上用いることにより,真球度が高く,粒度分布の小さい主薬を含有する細粒核を提供するという効果を得られることを見いだした点にあるというべきである。

    しかしながら,このうち結晶セルロースの重量パーセントを「少なくとも26パーセント」と定めた点は,前記認定のとおり,公知例との抵触を避け,かつ,特許発明の範囲を最大とすることのみを目的として,机上で決定されたものであり,実験による技術上の裏付けを全く欠いたものである。すなわち,本件明細書中の「結晶セルロースが26重量%より少ない場合には,従来の核と同様,核表面が粗く,摩損し易いため,コーティングとの均一性が損なわれ,過剰のコーティング材料を必要とし,作業時間も長いなどの問題点が生じ,効率が悪いという問題を有する。」(段落【0011】)との記載は,実験により確認されたものではなく,上記の目的から机上で決定された「26パーセント」という数値を,あたかも技術的な理由があるかのように見せるために,根拠なく作成された文章である。
    上記のとおり,「少なくとも26%の結晶セルロースを含み」(特許請求の範囲【請求項1】)という点は,その理由として明細書に記載された内容は事実に反するもので,実際には全く根拠を有しない架空の数値であるから,この数値の決定をもって,「技術的思想の創作」(特許法2条1項)と評価することはできず,当該数値の決定に関与したことをもって,本件発明の共同発明者と認めることもできない(もっとも,前記認定のとおり,「26%」という数値は,原告ではなく,被告会社特許部のD部長及びCにより実質的に決定されたものである。)。
  (2) そうすると,仮に本件発明に何らかの特許性を認め得るとすれば,それは,「本発明において,結晶セルロースは,‥‥‥60重量%以上用いることが特に好ましい。」(本件明細書段落【0012】)という点,すなわち,「結晶セルロースの含有量が60重量%以上であることを特徴とする」(特許請求の範囲【請求項2】)という点にあるというべきである。しかるに,この点は,原告が着想したものではない(原告自身も,本人尋問において,結晶セルロース(アビセル)を多量に使用する点はBからサジェスチョンがあったこと,結晶セルロースが多いと細粒収率が劇的に向上するという報告をBから受けていたことを述べている〔原告本人尋問調書59頁〕。)。賦形剤として,このように多量の結晶セルロースを用いるという着想は,深江工業での実験において,賦形剤である結晶セルロース(アビセル)を,69重量%という従来例に比して格段に多量に処方した場合に,真球度の高い細粒核を高収率で造粒できたことによって,得られたものと認められるが,前記認定のとおり,同実験において,結晶セルロース(アビセル)を69%用いたこと,アジテーター及びチョッパーの回転速度を前記認定のように設定したことは,いずれも深江工業の専門技術者であるEの発案に基づくものであった。
    これらの事情に照らせば,本件発明について,もっとも大きな寄与をしたのはEであって,本件発明については,Eの発明又はEとBの両名による共同発明ということはできても,原告が共同発明者の1人として関与したということはできない。
  (3) 原告は,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する技術と,寺下論文に開示された真球度の高いコーティング用細粒核を高収率で得る技術とを組み合わせる着想が本件発明の特徴であるから,この着想を提供した原告は共同発明者であると主張する(前記第3,1(原告の主張)欄)。
    しかしながら,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造すること,及び,寺下論文に開示されたように,結晶セルロース(アビセル)等数種の賦形剤を混合し,アジテーターの回転速度を300〜500rpmにするなどの条件設定をした上,高速撹拌造粒機を用いて造粒すれば,真球度の高い細粒核が高収率で得られることは,いずれも公知であった。また,寺下論文において示された条件設定の下で,主薬を含む真球状の核の造粒実験をすること自体は,さほど困難なことではなかった。しかしながら,実際の実験においては,各種混合物の比率,温度,アジテーターの回転速度,撹拌条件等の違いで結果が左右されることから,真球度の高い細粒核を高収率で得るための最適な実験条件を見つけ出すことは,困難であった(このことは,原告自身も本人尋問において認めている。原告本人尋問調書45頁)。

    上記によれば,平成元年当時被告会社が抱えていた課題(真球度の高い細粒核を高収率で得ること)の解決のためには,撹拌造粒法における最適な実験条件を見つけ出すことが重要であり,当時公知であった主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する方法と,寺下論文に開示された真球度の高いコーティング用細粒核を高収率で得る方法とを組み合わせて主薬を含む真球状の細粒核を製造しようとすることは,それ自体が発明と呼べる程度に具体化したものではなく,課題解決の方向性を大筋で示すものにすぎない。したがって,原告が上記着想を得たからといって,本件発明の成立に創作的な貢献をしたということはできず,原告を共同発明者と認めることはできない。
    なお,一般に,発明の成立過程を着想の提供(課題の提供又は課題解決の方向付け)と着想の具体化の2段階に分け,@提供した着想が新しい場合には,着想(提供)者は発明者であり,A新着想を具体化した者は,その具体化が当業者にとって自明程度のことに属しない限り,共同発明者である,とする見解が存在する。上記のような見解については,発明が機械的構成に属するような場合には,一般に,着想の段階で,これを具体化した結果を予測することが可能であり,上記の@により発明者を確定し得る場合も少なくないと思われるが,発明が化学関連の分野や,本件のような分野に属する場合には,一般に,着想を具体化した結果を事前に予想することは困難であり,着想がそのまま発明の成立に結び付き難いことから,上記の@を当てはめて発明者を確定することができる場合は,むしろ少ないと解されるところである。本件についても,上記のとおり,主薬と賦形剤を混合して細粒核を製造する方法と寺下論文に示された方法を組み合わせるという着想は,それだけでは真球度の高い粒核を高収率で得られるという結果に結び付くものではなく,また,当該着想自体も当業者であればさほどの困難もなく想到するものであって,創作的価値を有する発想ということもできないのであるから,原告をもって,本件発明の共同発明者と認めることはできない。
 2 結論
   以上によれば,本件発明について,原告が共同発明者であると認めることはできない。したがって,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。
   よって,主文のとおり判決する。



     東京地方裁判所民事第46部


           裁判長裁判官   三 村 量 一


              裁判官   村 越 啓 悦


              裁判官   青 木 孝 之