H14.10.24 東京高裁 平成13(行ケ)557 特許権 行政訴訟事件

平成13年(行ケ)第557号 審決取消請求事件 (平成14年10月10日口頭弁論終結)
         判    決
  原    告    株式会社日立製作所
  訴訟代理人弁理士  小川勝男、野萩守、田中恭助、北岡一人
  被    告    特許庁長官太田信一郎
  指定代理人     和泉等、田中秀夫、高本進、林栄二


           主    文
  原告の請求を棄却する。
  訴訟費用は原告の負担とする。


         事実及び理由
第1 請求
   特許庁が訂正2001−39093号事件について平成13年10月30日にした審決を取り消す。


第2 当事者間に争いのない事実
 1 特許庁における手続の経緯
 (1) 原告は、名称を「洗濯機」とする特許第2828599号(以下「本件特許」といい、その発明を「本件発明」という。)の特許権者である。
 (2)本件特許は、平成6年8月31日に出願され、平成10年7月15日に明細書についてその全文が補正された後(以下この補正を「本件補正」という。)、平成10年9月18日に設定登録されたが、特許異議の申立てがあり、平成12年10月3日、本件発明に係る特許を取り消す旨の決定がされた。
 (3)原告は、上記決定に対する取消訴訟提起後の平成13年6月8日に、本件発明の願書に添付した明細書(以下「特許明細書」という。)の特許請求の範囲を後記2のとおり訂正すべく訂正審判(本件訂正審判)を請求した。同請求は、訂正2001−39093号として審理され、平成13年10月30日、「本件審判の請求は、成り立たない」との審決があり、その謄本は平成13年11月9日原告に送達された。


 2 訂正明細書の特許請求の範囲
【請求項1】(以下、この請求項1の発明を「訂正発明」という。訂正による付加部分を下線で表示)
 外枠の内側に置かれる洗濯
兼脱水槽、この洗濯兼脱水槽の内側に回転自在に設けられる回転翼と、洗濯兼脱水槽の下方に備えられ、かつ前記回転翼を回転駆動する洗濯用モータと、外枠の上側に設けられ、かつ水道水給水用電磁弁が備わるトップカバーと、風呂水吸水ホースを通じて吸い上げる風呂水を洗濯兼脱水槽の上から洗濯兼脱水槽内に注ぐモータ式吸水ポンプと、トップカバーの後ろ側に設けられ、かつ洗濯用の水を洗濯兼脱水槽内に注ぐ注水口が形成されている注水部とを有する全自動洗濯機であって、
 ポンプランナ、このポンプランナの吐出側が連通する気水分離室を兼ねる吐出室、前記ポンプランナの吸込み側に連通する吸水室、
及び前記吸水室に連通するように形成されかつ前記風呂水吸水ホースの後端がOリングを介して装着されるホース接続口を有する風呂水吸水口を備えるポンプ部と、ポンプランナを回転駆動するモータ部とを有し、かつポンプ部をモータ部の長手方向端側に配置しているモータ式吸水ポンプは、
 トップカバーの後ろ側に横置きに、
 かつ前記吸水室に連通するように形成される風呂水吸水口のホース接続口が前記トップカバーの上方に向かって上向きになるように配置し、
 前記吐出室の吐出口と前記注水口部を連通する吐出水連通路を備え、
 
前記風呂水吸水口のホース接続口の上端を前記吐出室の吐出口より高い位置に配置し、
 前記トップカバーの後ろ側に前記モータ式吸水ポンプ等を覆い隠す着脱自在なバックパネルを設け、このバックパネルには前記ホース接続口の上端が臨むところにホース接続口用開口穴を設け、
前記トップカバーと前記バックパネル間に前記モータ式吸水ポンプが防振ゴムを介して挟み込まれていることを特徴とする全自動洗濯機。

 3 審決の理由の要旨
 審決は、別紙審決の理由写しのとおり、本件訂正請求に係る発明(訂正発明)は、以下の(1)、(2)の理由により、その出願の際独立して特許を受けることができるものではないから、本件訂正の請求は特許法126条3項の規定に適合しない、とした。

 (1) 新規事項
 @平成10年7月15日付けでされた特許明細書の補正(本件補正)は、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしたものとは認められないから、改正前の(以下、同じ)特許法17条2項(同法17条の2第2項において準用する場合を含む。)に規定する要件を満たしていない。 
 A本件訂正請求は、本件補正に係る記載以外の記載を訂正しようとするものであるから、訂正請求に係る訂正の目的、新規事項の有無、特許請求の範囲の拡張・変更について検討するまでもなく、本件訂正により本件補正の瑕疵がなくなるものではない。

 Bしたがって、本件出願は、登録査定前にした補正において、特許法17条の2第2項の規定により準用する同法17条2項に規定する要件を満たしていない補正がなされているものであり、本件訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明の特許出願は、その出願の際独立して特許を受けることのできるものではない。
 (2)  進歩性
 訂正発明は、引用例1(特開昭57−192595号公報、甲第6号証)、引用例2(特開昭60−45790号公報、甲第7号証)及び引用例3(特開昭57ー69896号公報、甲第8号証)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明がその特許出願の際独立して特許を受けることができるものではない。


第3 原告主張の審決取消事由の要点
 審決は、I.特許登録前にされた補正の新規事項についての判断を誤り(取消事由1)、また、K.引用例記載の発明の認定を誤った結果、本件訂正発明と引用例記載の発明との一致点の認定を誤り(取消事由2)、相違点の判断を誤った(取消事由3)ものであり、これらの誤りの結果、本件訂正発明は独立特許要件を満たさないと判断したものであって、これらの誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は取り消されるべきである。


J. 取消事由1(新規事項についての判断の誤り)
 1 特許明細書の【0011】欄の記載について
 (1)審決(甲第1号証)は、「当初明細書には、『洗濯機のコンパクト化、組立作業の簡便化、設置スペースの小スペース化、取扱いの簡便化を図ることのできる風呂水吸水ポンプを搭載した』との記載はなく、当初明細書の記載から直接的かつ一義的にこの記載が導き出せるものではない。」(5頁)とし、特許明細書の【0011】欄に係る補正は当初明細書に記載した事項の範囲内においてしたものではないとするが、この判断は特許法17条の2第2項で準用する同法17条2項の趣旨に反するものであり、誤りである。
 (2)「コンパクト化」
 @第1に、当初明細書(甲第4号証:特開平8−66588号公報)の【0006】欄の(発明が解決しようとする課題)において、投げ込み式の風呂水吸水ポンプを利用する場合は、ホースとリード線とが絡み合い、収納性が悪いという点について言及しており、洗濯機を風呂水吸水ポンプも含めて一つの場所にコンパクトにまとめきれないことを意味するから、「収納牲が悪い」ということは、コンパクト化を阻む要素であり、コンパクト化は当初明細書の記載において直接技術的関連性を有するものである。

 本件発明は、風呂水吸水ポンプを内蔵することができる洗濯機を提案しており、風呂水吸水ポンプの収納性の改善ひいては洗濯機を風呂水吸水ポンプも含めて一つの場所にコンパクトにまとめるといった事項が当初明細書又は図面に明らかにされている。
A第2に、当初明細書の【0007】欄には、「一方、洗濯機に風呂水吸水ポンプを内蔵するタイプのものは、従来一般に、洗濯機の下方にポンプを設置するようにしており、呼び水タンクを必要とするばかりでなく」と記載されており、呼び水タンクは洗濯機のコンパクト化を妨げる要素であることは明白な事実である。本件発明は、呼び水タンク不要の自吸式(気水分離式)の風呂水吸水ポンプを内蔵するから、洗濯機の部品の省略化を図り部品設置スペースを減らすことにより洗濯機のコンパクトを図れることは当業者にとって明らかな事項である。

Bさらに、当初明細書の【請求項1】、【0012】、【0056】〜【0059】、【0061】欄、図1、図2、図3などの記載から、本件発明は呼び水タンクを不要とする風呂水吸水ポンプ26を洗濯機のトップカバー1の後ろの狭い空間に集約的に納めるものであって、無駄を省いて洗濯機を小さくまとめていることが明白に示されている。
Cさらに、洗濯機のトップカバー1とバックパネル25間に風呂水吸水ポンプ26が防振ゴムを介して挟み込まれ(当初明細書の【0060】欄、図1、図3)、しかも風呂水吸水ポンプ26は、横置きであるから(図2、図4)、洗濯機の丈をその分だけ低くできる。
 以上の@〜Cの記載事項を総合して表現すれば、「無駄をなくして洗濯機を小さくまとめる」こと、すなわち、「洗濯機のコンパクト化を図る」ということにほかならないものである。

 したがって、「洗濯機のコンパクト化」は、特許法17条の2第2項で準用する同法17条2項に規定する「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項」に等しいものである。
 (3)「組立作業の簡便化」
 洗濯機の組立作業の簡便化についての補正の根拠は次のとおりである。
 当初明細書の【0078】欄には、風呂水吸水ポンプの「取付作業の簡略化」の記載があり、これをつきつめていえば、洗濯機の組立作業の簡便化を図り得ることにほかならないものである。
 したがって、「洗濯機の組立作業の簡便化」は、「風呂水吸水ポンプの取付作業の簡略化」といった記載により当初明細書に実質的に記載されているものであり、それは当業者にとって明らかであり、「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」の補正である。

 (4)「洗濯機の設置スペースの小スペース化」
 審決は、「設置スペース」を「平面上で必要なスペース」の意味に限定しているが、「スペース」は、一般に、広く「空間」を意味し、高さ(上下)方向も含む立体的な場所をいうものである。平面上で必要なスペースが同じでも、高さが低くなれば、設置スペースが小さくなることは明らかである。「洗濯機の設置スペースの小スペース化」の補正の根拠は次のとおりである。
@第1に、「洗濯機のコンパクト化」についての記載根拠は既に述べたが、「洗濯機のコンパクト化」は、「洗濯機の設置スペースの小スペース化」と表裏一体の関係にあることは論じるまでもない。
Aまた、当初明細書の【0033】欄に「ホースを後ろ側から取り出す場合、その分無駄なスペースを確保しなければならず」と記載し、これに対して当初明細書の【0032】欄に「風呂水吸水ポンプの吸水口をトップカバーの上面に設けることにより、吸水口の上部から360°全方向に取り出すことができ」として、上記した無駄なスペースをとる必要のないことを明らかにしている。

 洗濯機の風呂水吸水ポンプのホース接続部も洗濯機の設置スペースの一部であるから、上記スペースの問題を解決することは、洗濯機の設置スペースの小スペース化を図ることにほかならない。
 そして、上記@、Aを総合して表現すれば、当初明細書又は図面には、「洗濯機の設置スペースの小スペース化」について実質記載されているものである。
 したがって、「洗濯機の設置スペースの小スペース化」は、「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」の補正である。


 2 特許明細書の【0013】欄の記載について
 (1)審決は、当初明細書には、特許明細書の【0013】欄の記載はなく、当初明細書の記載から直接的かつ一義的にこの記載は導き出せない、また、当初明細書の【0007】欄の記載及び図面をみても、上記のとおり記載されているか、或いはそれ以外のものは意味していないことが明らかでないとし、【0013】欄の補正は当初明細書に記載した事項の範囲内においてしたものではないとするが、この判断は特許法17条の2第2項で準用する同法17条2項の趣旨に反するものであり、誤りである。
 (2)上記補正の根拠は、次の通りである。
@当初明細書の【0007】欄、【0008】欄の記載は、呼び水タンクを有するタイプの風呂水吸水ポンプを洗濯機のトップカバー内に組み込んだものを実現可能にしたものがないことを示している。

A「大量の呼び水」との記載についても、呼び水タンク方式風呂水吸水ポンプが多量の水を必要とすることは当業者にとって明白であり、何ら新規事項を追加するものではない。
B「気水分離室を有する本構成によりはじめてそれが可能になり、」の記載についても、当初明細書では「風呂水吸水ポンプの設置個所」を提案するものであり(【0011】欄)、その課題を気水分離室を有する本構成により達成していることは、当初明細書の実施例及び図面の記載から明白である(【0061】【0063】欄及び図1〜図4)から、当初明細書に記載した事項の範囲内のものである。
Cまた、「その結果トップカバーの後ろ側の狭い空間に自動呼び水式ポンプを備えて水道水と風呂水とを任意に切替使用可能な装置を合理的に収納した洗濯機が実現可能になった。」の記載についても、トップカバーの後ろ側の狭い空間内に電磁弁31と共に風呂水吸水ポンプ26を内蔵する旨の記載があり(【請求項1】【0012】【0056】【0059】欄及び図2)、それはトップカバー1の既存の空間を利用して合理的に収納したことにほかならず、さらに、当初明細書には風呂水コースと水道水コースとを任意に切替使用可能にする記載がある(【0064】【0066】【0074】欄)。

 そして、以上の@〜Cの記載事項を総合して表現すれば、それは、「トップカバーの後ろ側の狭い空間に自動呼び水式ポンプを備えて水道水と風呂水とを任意に切替使用可能な装置を合理的に収納した洗濯機が実現可能になった。」ことを意味するものであるから、上記事項は、当初明細書及び図面に記載された事項の範囲内のものである。
 (3)被告は、「原告の指摘する当初明細書の記載を見ても、従来、風呂水吸水ポンプをトップカバー内に組み込んだ洗濯機が実現されていなかったことは何ら記載されておらず、むしろ、従来から『呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプ付の洗濯機が提案されている』(【0008】、【0009】欄)」ことが記載されているのであって、…」と主張する。
 しかしながら【0008】欄には、「…呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプ付の洗濯機が提案されているが、その場合であってもポンプは洗濯機の下方に設けられている。」と記載し、また、【0009】欄には、「…前掲特開平6−23190号公報にも呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプ付の洗濯機が提案されている。」と記載されているが、【0010】欄では、「しかし、同公報には、非常に簡略化された図が記載されているのみであって、また、その文中にもポンプが洗濯機のどの部分に組み込まれているのか具体的説明がない。」と記載しているのであって、これらの記載は、従来は風呂水吸水ポンプを洗濯機の下方に設けるか、あるいはどこに設けるか不明なものしか提案(実現ではなく、いまだ提案の段階である)されているだけにすぎないことを示すものである。そのことは、明細書において、従来は、トップカバー内に風呂水吸水ポンプを組み込んだ洗濯機が実現されていなかったことを示すものである。したがって【0013】欄について、これを新規事項であるとする被告の主張は失当である。


 3 特許明細書の【0014】欄の記載について
 (1)審決は、「当初明細書には、『モータ式吸水ポンプのところだけが隆起することはなく、洗濯機全体の丈を低く抑えることができる。』との記載はなく、当初明細書の記載から直接的かつ一義的にこの記載が導き出せるものではない。」とし、特許明細書【0014】欄に係る補正は当初明細書に記載した事項の範囲内においてしたものではないとするが、この判断は特許法17条の2第2項で準用する同法17条2項の趣旨に反するものであり、誤りである。
 (2)上記補正の根拠は、次の通りである。
@当初明細書に添付した図面の図1には、モータ式吸水ポンプを覆っていて洗濯機全体の最高面をなすバックパネル25の上面が、蓋4の上面から突出することなく、ほぼ同じ平面上にあることが明記されており、「モータ式吸水ポンプのところだけ隆起することはなく」とは、このことを述べたものに他ならない。

A「洗濯機全体の丈を低く抑えることができる」については、「モータ式吸水ポンプは・・・横置きに置かれるので、竪置きに置くものと違って」との記載に続くものであり、同じポンプを同じ場所に「竪置きに置く」場合と比較して述べていることは明らかである。そして、モータ式吸水ポンプが横置きに置かれれば、竪置きに置くよりも、ポンプの丈が低くなることは明白である。
 特に本件発明では、横置きに置くことを前提にして「(洗濯機の)トップカバーとバックパネル間にモータ式吸水ポンプが防振ゴムを介して挟み込まれ」という構成を採用するものであるから、トップカバーの底面とバックパネルの上面との間の距離は、横置きのポンプの丈に防振ゴムの厚みを加えただけの寸法に相当し、極力接近させる(短くできる)構造になり、ひいては、洗濯機の丈も低くできるものであることは、当初明細書又は図面に実質記載されている。

 したがって、【0014】欄の記載も当初の図面に記載された事項の範囲内のものであり、「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」の補正である。

 4 新規事項の判断について
 (1)審決には、補正により追加された目的や効果などについて、明細書又は図面に記載した事項から明らかに導き出せるであっても、そのほかの形態などからも導き出せるものであれば、あらゆる形態を網羅することができない限り「直接的かつ一義的」でないとして補正は認められない、との見解が示されている。
 (2)しかし本件のように発明の目的、効果に関する特長を明確にするために補正により追加した事項が、発明を拡張したり変更することを伴わず、しかも前述したように当初の明細書又は図面から直ちに導き出せることが当業者にとって明白な場合、何故に上記補正事項がその他に考えられるあらゆる形態をすべて満足させなければ補正が認められないのかは、法の趣旨からしても納得のできるものではなく不合理であり不当である。

 本件補正は、審査の遅延が生じさせるものではなく、また、第3者の監視負担義務になるものではないから、特許法17条の2第2項で準用する同法17条2項の趣旨に反するものではない。
 かえって、このような補正までも厳しく認めないとするならば、補正が実質的にほとんど認められないといっても過言ではない。
 (3)また、このような補正を認めることは、特許法17条2項の法の趣旨の一つである、国際的調和にも合致するものである。
 すなわち、特許法17条2項は、制度の国際的調和、権利付与の迅速化及び第三者の監視負担の軽減を図るために平成5年法で規定されたものである(甲第17号証:工業所有権法逐条解説の第14版)。
 そして、この規定は、国際出願法11条(甲第14号証)を参考として規定され、同条は、補正は、出願の開示の範囲を越えてしてはならない旨を規定した特許協力条約34条(2)の規定に相当するものであり、新規事項を追加することを認めないことを規定したものである。

 (4)特許法17条2項の運用指針(甲第18号証;「改正特許・実用新案法の運用のてびき」)の2.2(1)には、「新規事項」を記載することとなる補正は、特許法17条2項等の規定に違反するものとなる、との基本原則が示されている。
 この指針は、明細書の補正について、欧米と同様に新規事項の追加を不可とする趣旨でPCTガイドラインに沿って運用が行われている国際出願法第11条の規定を参考に規定されたものである。
 しかるところ、PCTガイドラインでは、甲第16号証に示すように、O−7.9、O−7.11、O−7.11a、O−7.12bの規定によれば、基本原則は上記運用のてびきと同様に規定されているが、発明の主題に関する補正についてすら、当業者に自明な明確化にすぎない場合は許容され、そして、発明の効果や技術的課題の補正については、当業者が当初明細書又は図面から難なく導き出せる場合には、認められるとしている。このPCTガイドラインは、EPC(ヨーロッパ特許条約)の明細書補正制限に関する123条(1)〜(3)(甲第12号証)に関するEPOガイドライン(甲第13号証)のCO5.6、CO5.6a及びCO5.7cの基準にも調和するものである。


K. 進歩性について
 1 取消事由2(引用例記載の発明の認定、一致点の認定誤り)
 審決は、訂正発明1の「吸水口」は引用例1記載の発明の「風呂水吸水口」に相当する、としているが誤りである。
 引用例1は、風呂水吸込口21がポンプと別個に形成された蛇腹状の短ホースをなしているのに対して、本件発明は、蛇腹状の短ホースをなすような構成をしていない。本件発明の風呂水吸水口は、ポンプ自身に風呂水吸水口を形成するものであって、蛇腹状の短ホースといった別部材の吸水口を用いるものではない。


 2 取消事由3(相違点の判断の誤り)
 (1)相違点イの判断の誤り
 審決は、洗濯機において風呂水を吸水しようとするとき一般に自吸能力が必要とされることは周知の課題であると認定しているが、洗濯機において風呂水を吸水しようとするとき一般に自吸能力が必要とされることは周知ではない。
   ア すなわち、自吸能力のあるポンプとは、「揚液用の羽根車が呼び水作用も行うことができるポンプ」であって、その呼び水作用はポンプ内の気水分離作用により生じるものであるが、このようなポンプで洗濯機に風呂水を汲み入れるには、5m程度というかなりの長さに及ぶ風呂水吸水ホース及びポンプ内を自力により短時間で満水させることが必要なものであって、従来はそのようなことが洗濯機に内蔵可能な小型の自吸式ポンプで達成し得るとは考え難かったのである。

 すなわち、本件発明の出願当時における洗濯機分野において従来一般に周知であった呼び水タンクを不要とした洗濯機内蔵の風呂水吸水ポンプは、呼び水を水道から供給することにより呼び水タンクを不要としたものであり、気水分離により自力で呼び水をポンプ及び吸水ホース内に引き込むものではない。
   イ 気水分離型の自吸ポンプは、本件発明の出願当時は、一般に土木、建設工事の揚水に利用されており、揚水用としては、家庭用ではせいぜい井戸ポンプとして知られていたにすぎない。それは、比較的大型の揚水ポンプであり、そのような自吸式ポンプを小型にして洗濯機に搭載して風呂水吸水ポンプとして利用するという発想は従来皆無であった。その上、単に小型化すればよいというものではなく、小型化にもかかわらず、短時間で風呂から洗濯槽への給水を完了するのに十分な高い吸水能力を実現しなければならないという、厳しい条件が課せられているのである。したがって気水分離型の自吸式ポンプを風呂水吸水ポンプとして洗濯機のトップカバーの後側のバックパネルの内部に配置するというような構想は、当業者といえども容易に想到し得るものでは到底ない。

 引用例2(甲第7号証)に対応する気水分離型の自吸式ポンプは、吐出口がポンプ吸水口(吸込口)より高い位置にあって上向き、吸水口が横向きであるのに対し、本件発明に採用した気水分離式ポンプは、上記汎用タイプの気水分離式ポンプとは逆に風呂水吸水口が吐出口より高い位置にあって上向き、吐出口が横向きである。
    ウ 審決は、ポンプのホース接続口などの流体接続部分にOリングを用いて流体の洩れを防止する点は周知であると認定しているが、気水分離式ポンプ(自吸式ポンプ)を洗濯機に取り付ける場合に、ポンプのホース接続口にOリングを用いて流体の洩れを防止する点は周知ではない。
 (2)相違点ロの判断の誤り
 審決は、「『風呂水吸水口のホース接続口の上端を吐出室の吐出口より高い位置に配置し』た点は、そのようにしなければ不使用時にポンプの気水分離室の水が吐出口より洩れ落ちてしまうおそれがあるから普通に配慮すべき設計事項である」(11頁)と判断している。

 しかしながら、「風呂水吸水口のホース接続口の上端を吐出室の吐出口より高い位置に配置し」ても、吐出口を気水分離室(吐出室)の上方に配置すれば、気水分離に必要な水すなわちランナ室の羽根車の一部が浸る程度の水は確保できる。また、一般の気水分離式ポンプは、甲第11号証(「機械図集 ポンプ」日本機械学会編)の図3や甲7号証(引用例2)にも記載されているように、吸込口(吸水口)を吐出口より低い位置に配置しているものである。したがって、審決の判断は根拠のないものである。
 (3)相違点ハの判断の誤り
   ア 審決は、「バックパネルに、『ホース接続口の上端が臨むところにホース接続用開口穴を設け』ることは、ホース接続口をバックパネルの上方に配置する洗濯機において、従来より普通に行われている(引用例3;甲第8号証)」(11頁)と判断しているが、引用例3は、投げ込み式ポンプのように洗濯機外部のホース先端と洗濯機のバックパネル内に設けた注水用のホースとを接続するものであり、本件発明のように洗濯機の風呂水吸水ポンプの吸水口をバックパネルに設けたホース接続用の開口穴に直接臨ませて、ポンプの吸水口に風呂水吸水ホースを接続するものと、引用例3を比較対象とすることに無理があるといわざるを得ない。

   イ 審決は、「前記トップカバーとバックパネル間に前記モータ式吸水ポンプが防振ゴムを介して挟み込まれている」は、特許明細書には具体的な構造について記載がなく、単なる設計事項であると判断している。
 しかし、特許明細書の段落番号【0032】、【0052】欄及び図3(出願時の明細書【0060】、【0078】欄及び図3)には、上記構成について具体的な構造が記載されている。
 また、引用例1では、ポンプ高さは操作箱3の高さの1/2以下であり、その上には操作板4の裏に切り換えスイッチ等があり、ポンプ20を操作板4と天板2で挟み込んで取り付けるという思想は出てこない。仮にトップカバーとバックパネルの間に大きな空間を設けるべき特段の理由がないとしても、吸水ポンプをトップカバーとバックパネルで挟み込む場合には、騒音の問題もあり、挟み込むという発想は生じ難い。

 トップカバーとバックパネル間にモータ式吸水ポンプが防振ゴムを介して挟み込んで取り付けることは慣用手段ではない。

第4 被告の反論の要点
J. 取消事由1(新規事項についての判断の誤り)に対して
 1 特許明細書の【0011】欄の記載について
 (1)「洗濯機のコンパクト化」について
 原告の主張は、「当業者にとってみれば明らかに当初明細書又は図面に記載されていたに等しい事項である。」といった主張の文言自体から明らかにように、刊行物等から当業者が読みとれる事項と、願書に最初に添付した明細書(以下「当初明細書」という)又は図面に記載された事項の範囲を混同しているもので、この点において既に失当なものである。そして、当初明細書又は図面に記載された事項から直接かつ一義的に導き出すことができない事項を記載することになる補正は「当初明細書又は図面に記載された事項の範囲内」でなされたものではない。(甲第15号証82〜83頁の2.4(3)欄参照)。

 そして、上記原告主張@ないしCで指摘する本件当初明細書の記載を総合しても、本件発明が「洗濯機のコンパクト化」を目的とすることは、当初明細書又は図面に記載された事項の範囲内とすることはできない。
 すなわち、当初明細書の【0006】、【0007】欄の記載は、従来の洗濯機の問題点をそれぞれ記載したものにすぎず、【0006】欄記載の従来技術と対比すると、本件発明は、ポンプを収納するために洗濯機自体の体積はむしろ大きくなると推測され、「洗濯機を小さくまとめる」ことを意味する「洗濯機のコンパクト化」は直接的かつ一義的に導き出すことはできない。また、【請求項1】等の、「トップカバー内に風呂水吸水ポンプを内蔵した」という記載や図面の記載から「洗濯機のコンパクト化」という記載が直接的かつ一義的に導き出せるものでもない。

 (2)「洗濯機の組立作業の簡便化」について
 原告の主張は「洗濯機の組立作業の簡便化」と、「風呂水吸水ポンプの取付作業の簡略化」を同一視しており不当である。
 洗濯機の組立作業とは、風呂水吸水ポンプの取付作業のみでないことは、洗濯機が風呂水吸水ポンプ以外の多くの部品からなり、それらも組み立てなければならないものであることから、詳細に検討するまでもなく明らかである。
 (3)「洗濯機の設置スペースの小スペース化」について
 「洗濯機のコンパクト化」が当初明細書又は図面に記載された事項の範囲内であるといえないことは上記(1)で述べたとおりである。
 また、当初明細書の【0033】欄の、「ホースを洗濯機の後ろから取り出す場合、その分無駄なスペースを確保しなければならず」との記載から読みとれる「洗濯機の設置スペースの小スペース化」とは、ホースを後ろ側から取り出すものに比べて後方の無駄なスペースを小さくできるとの意味に限られたものである。

 一方、補正された特許明細書(甲第2号証)の【0011】欄の、「設置スペースの小スペース化」とは、一義的に上記のような意味のみに限定されるものと解することはできず、原告も、「設置スペースの小スペース化」とは、設置のための立体的空間が小さくなることを意味していると主張している。
 したがって、「洗濯機の設置スペースの小スペース化」との記載事項は、当初明細書又は図面に記載された事項の範囲内のものとすることはできない。


 2 特許明細書の【0013】欄の記載について
 原告の指摘する当初明細書の記載を見ても、従来、風呂水吸水ポンプをトップカバー内に組み込んだ洗濯機が実現されていなかったことは何ら記載されておらず、むしろ、従来から「呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプ付の洗濯機が提案されている」(【0008】、【0009】欄)ことが記載されているのであって、特許明細書の【0013】欄の記載事項は、当初明細書の記載を総合しても直接的かつ一義的に導き出せるものではない。
 
 3 特許明細書の【0014】欄の記載について
 当初明細書には、そもそも洗濯機に竪置きのポンプが使用されていたことは記載されておらず、竪置きに置くものと比較すること自体、当初明細書に記載されていた事項の範囲内ではない。そして、当初明細書に添付された図1、2には、平坦なトップカバーが記載してあるにすぎず、「(竪置きに置くものと違って)モータ式吸水ポンプのところだけが隆起することはなく、洗濯機全体の丈を低く抑えることができる。」との記載事項は、当初明細書又は図面に記載された事項の範囲内のものであるとすることはできない。

 
 4 新規事項の判断について
 (1)原告の主張は、発明の構成に関する補正は「直接的かつ一義的」なる基準をもって運用されるのはやむをえないが、発明の効果や技術課題の補正、追加は認められるべきとの意見であるが、これは原告独自の見解であり認めることはできない。
 (2)特許法17条の2第3項は、「明細書又は図面について補正をするときは、・・願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならない」と規定されており、原告提出に係る甲第15号証87頁の2.5.2.2(1)欄に明記したように発明の目的や効果に関する記載であっても、当初明細書又は図面に記載された事項の範囲内でなければならない。
 そして、特許法184条の7、8において、国際特許出願において国際段階でなされた補正は国内において通常になされた補正とみなす旨の規定があり、国際段階でなされた補正は国内においてなされた補正と同様に日本国特許法17条2項の規定の適用を受けるものであるから、原告のPCTガイドラインに係る上記主張は本質的に根拠のないものである。(ただし、PCTガイドラインと日本国特許法が調和していないものではない。日本国においては特許協力条約第19条(3)にいう国内法令で、同条(2)の開示の範囲を超えてする補正は認めていないものにすぎない。)

 また、日本語で国際出願をするものが国際段階でできる補正のうちの国際予備審査の請求に伴う補正は、国際出願法11条(甲第14号証参照)に規定されているとおり、補正のできる範囲については特許法の規定と実質上変わりがなく、当然にそれに対する運用にも変わりはない。
 なお、EPOの規定についても原告の主張するところがあるが、EPOの規定は日本国特許法に何らかの拘束を与えたり関与があるものではない。
 (3)当初明細書(甲第4号証)と特許明細書(甲第2号証)を対比し、補正箇所を示す特許明細書(甲第2号証)の下線を付された部分の多さから見ても明らかなように、本件に係る特許査定前の補正は第三者の過度の監視負担を強いるものと解することが相当であり、上記の原告主張は到底首肯し得るようなものではない。

 (4)原告は、「審判合議体の解釈が特許法17条2項についての運用が法の趣旨を超える厳しいものになっている」旨主張しているが、上述したとおり、審決は法の趣旨に基づいてされたものであり、かつ、その運用は統一された解釈に基づくものである。
 
K. 進歩性について
 1 取消事由2(引用例記載の発明の認定、一致点の認定誤り)に対して
 訂正発明は「吸水室に連通するように形成されかつ前記風呂水吸水ホースの後端が…装着されるホース接続口を有する風呂水吸水口を備えるポンプ部」と記載されているだけである。そして、ポンプと別個に形成された短ホース先端の吸込口をもって風呂水吸水口とするか、ポンプ自身に風呂水吸水口を形成するかは、当業者にとっては設計事項であり、ポンプ部に風呂水吸水口を備えた点で差異はないから、上記『「吸水口(正しく吸込口)」は「風呂吸水口」に、…相当する』との認定に何ら誤りはない。

 
 2 取消事由3(相違点の判断の誤り)に対して
 (1)相違点イについて
   ア ポンプランナ、気水分離室、吐出室、吸水室等を備えたポンプは引用例2に記載されており、また、洗濯機において風呂水を吸水しようとするとき一般に自吸能力が必要とされることは周知の課題であり、引用例2記載のポンプを引用例1記載の発明の洗濯機のトップカバーの後ろに配置されるポンプに採用することに困難はなく、その場合の作用効果も、ポンプに本来備わった自吸作用をなすものにすぎないから、当業者にとって予測可能な程度のものであると認められる。
 原告は、従来の気水分離型の自吸ポンプは、大型であり、本件洗濯機のように小型のものとは異なる旨主張しているが、大型にするか小型にするかは当業者が適宜選択し得る設計事項であり、大型のものを小型にする点に困難性は認められないし、格別発想の転換を必要とするというものとも認められない。

 そして、従来周知の気水分離型の自吸ポンプを全自動洗濯機の風呂水吸水ポンプに適用することは当業者であれば容易に想到し得るものである。  
   イ 一般にポンプのホース等接続口にOリングを用いて流体の洩れを防止するのは、周知の技術(例えば、乙第1号証、乙第2号証参照)であり、引用例1(甲第6号証)に記載の全自動洗濯機において、風呂水吸水口のホース接続口と風呂水吸水ホースの接続に漏水を防止するためにOリングを装着することは当業者が容易になし得ることである。
 (2)相違点ロについて 
 甲第11号証の図3や甲第7号証に記載される気水分離式ポンプはその用途から吸込口を吐出口より低い位置に配置しているにすぎない。一般に、気水分離式ポンプにおいては、吸込口、吐出口を気水分離室より上方に配置する必要があるが、吸込口と吐出口の位置関係は、水をどこへ導くか等に応じて適宜設計すべき事項であり、ポンプ下方の洗濯槽に吐出するとの機構上の要請及び逆流防止の観点から見て、「風呂水吸水口のホース接続口の上端を前記吐出室の吐出口より高い位置に配置し」た点は、普通に配慮すべき設計事項であるとした審決の判断に何ら誤りはない。

 (3)相違点ハについて
   ア 引用例3(甲第8号証)の2頁左上欄19行〜右上欄2行には、「給水パイプ11及び給水パイプ11の入口側は水切切換ツマミ2等を配したパネル部15の上面より上方に突出している。」と記載されているから、『バックパネルに「ホース接続口の上端が臨むところにホース接続口用開口穴を設け」ることは、ホース接続口をバックパネルの上方に配置する洗濯機において、従来より普通に行われていること』とした審決の認定に誤りはない。
 そして、引用例1(甲第6号証)記載の洗濯機と引用例3(甲第8号証)記載の洗濯機とは、投げ込み式ポンプと風呂水吸水ポンプの違いはあるにしても、風呂水吸水用ホースを備える洗濯機という同一技術分野に属するものであるから、投げ込み式ポンプのバックパネルのホース接続用開口の構成を風呂水吸水ポンプ用のホース接続用開口の構成に適用することは、当業者であれば容易に想到し得る程度のものである。

   イ パネル間にポンプ等が防振ゴムを介して挟み込まれている構成は、周知技術であり(必要なら、乙第3号証、乙第4号証等参照。)、かつ共鳴を防止することができる等の効果もその構成上当然に想定される効果であるから、上記周知技術を洗濯機の吸水用ポンプに適用することは、当業者が容易になし得る事項である。

第5 当裁判所の判断
 1 審決は、平成10年7月15日にされた明細書の全文補正(本件補正)のうち、【0011】欄、【0013】欄及び【0014】欄に係る補正は、当初明細書に記載した事項の範囲内においてしたものではなく、また、本件訂正審判の請求は、本件補正後の明細書(特許明細書)の【0011】欄、【0013】欄及び【0014】欄に係る記載以外の記載を訂正しようとするものであるから、本件訂正により上記補正の瑕疵がなくなるものではないことを1つの理由として、本件訂正審判の請求を成り立たないとしたものである
 これに対して、原告は、前記【0011】欄、【0013】欄及び【0014】欄に係る補正は、当初明細書に記載した事項の範囲内においてしたものであると主張するので、本件補正がいわゆる新規事項を含むものかどうかを以下に検討する。


 2 まず、特許明細書の【0013】欄に係る補正について検討する。
 (1)甲第2号証によれば、本件補正後の明細書(特許明細書)の【0013】欄の記載は、以下のとおりである。
    「【作用】@大量の呼び水を蓄えておかなければならない自動呼び水式ポンプを備えるものでは、その呼び水タンクの大きさからトップカバーに収納することはできずしたがってトップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機が実現できなかったが、A気水分離室を有する本構成によりはじめてそれが可能になり、その結果トップカバーの後ろ側の狭い空間に自動呼び水式ポンプを備えて水道水と風呂水とを任意に切替使用可能な装置を合理的に収納した洗濯機が実現可能になった。」
 (符号@、Aを付し、以下では記載@、記載Aとして引用する)。

 (2)特許明細書の【0013】欄の上記記載は、当初明細書には存在せず、本件補正により新たに加えられたものと認められるところ、原告は、記載@は、当初明細書の【0007】〜【0010】欄に根拠を有するものであり、記載Aは、当初明細書の【0011】、【0061】、【0063】欄及び図1〜図4に根拠を有するものである旨主張している。
 (3)特許明細書【0013】欄の記載@について
   ア 甲第4号証によれば、原告が記載@の根拠として挙げる当初明細書の【0007】欄ないし【0010】欄の記載は以下のとおりである。
    【0007】一方、洗濯機に風呂水吸水ポンプを内蔵するタイプのものは、従来一般に、洗濯機の下方にポンプを設置するようにしており、呼び水タンクを必要とするばかりでなく、洗濯機下方のポンプから洗濯槽開口部に至る配管長も長くなり、その分コストアップの原因となる。

    【0008】なお、前掲特開昭57−117894号及び同第57−117895号公報には、呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプ付の洗濯機が提案されているが、その場合であってもポンプは洗濯機の下方に設けられている。
    【0009】また、前掲特開平6−23190号公報にも呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプ付の洗濯機が提案されている。
    【0010】しかし、同公報には、非常に簡略化された図が掲載されているのみであって、またその文中にもポンプが洗濯機のどの部分に組み込まれているかの具体的説明がなく、先の2公知例と同様、ポンプは洗濯機の下方に設置されるのか、あるいはそれ以外の個所に設置されるのか一切不明であり、ポンプを洗濯機の下方に設置した場合に特有の効果を示唆する記載も一切開示されていない。

   イ 当初明細書の上記【0007】〜【0010】欄の記載内容は、要するに、従来実現されあるいは提案されている風呂水吸水ポンプを内蔵するタイプの洗濯機においては、呼び水タンクの有無に関係なく、ポンプは洗濯機の下方に設けられており、トップカバー内に風呂水吸水ポンプを組み込んだ洗濯機は実現・提案されていない、というものであると認められる。
 他方、特許明細書【0013】欄の記載@は、「大量の呼び水を蓄えておかなければならない自動呼び水式ポンプを備えるものでは、その呼び水タンクの大きさからトップカバーに収納することはできずしたがってトップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機が実現できなかった」というものであり、呼び水タンクの大きさによりトップカバー内に自動呼び水式ポンプを組み込んだ洗濯機の実現ができなかったとするものである。

   ウ 両者の記載内容を検討すると、当初明細書は、呼び水タンクを備えた風呂水吸水ポンプが呼び水タンクの大きさ故に洗濯機のトップカバー内に組み込むことができないとしたものではなく、呼び水タンクを不要とした自動吸水ポンプであってもトップカバー内にポンプを組み込んだ洗濯機は実現・提案されていないことを記載しているものであるであるから、トップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機の実現ができない理由を、呼び水タンクの大きさのみに求める特許明細書【0013】欄の記載@は、当初明細書の開示内容と齟齬するものであることは明らかである。
 したがって、記載@は、当初明細書に記載した事項の範囲内のものとは認められない。
 (4)特許明細書の【0013】欄の記載Aについて
   ア 特許明細書【0013】欄の記載Aは、要するに、気水分離室を有する構成により、トップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機が実現可能となったというものであるところ、原告が記載Aの根拠として挙げる当初明細書の【0011】、【0061】、【0063】欄の記載は次のとおりである

    【0011】本発明は、風呂水吸水ポンプの設置個所を特定したものであって、その目的とするところは、従来に比べてポンプの配管ロスが少なく、コストの低減化を図ることができ、しかもポンプの耐湿性を向上させてポンプモータの経年劣化を極力少なくし、ポンプモータの長寿命化を図ると共に、従来に比べてコントローラとポンプ間の配線引廻しを短くしてその合理化も図れ、しかも使い勝手の点でも従来に比べて優れた風呂水吸水ポンプ付の全自動洗濯機を提供することにある。
    【0061】風呂水吸水ポンプ26の内部構造を示す図4において、26aがポンプ26の風呂水吸水口、26bが風呂水吐出管、26cはケーシング、26dはポンプモータ、26eはランナ、26fはメカニカルシール、26gは吸水室、26hは気水分離室、26iは仕切板を示し、ポンプ26の上面に設けた風呂水吸水口26aを呼び水吸水口として兼用している。 

    【0063】そして、ポンプ26の吸水室26gに吸水された風呂水は、従来のこの種ポンプと同様の送水方法によりランナ26eを介して気水分離室26hに送られ、気水分離室26hに送られた風呂水は、その後、風呂水吐出管26bを介して洗濯槽8内に供給される。
   イ 当初明細書の上記記載は、本発明が風呂水吸水ポンプの設置個所を特定したものであること、及び、実施例に気水分離室を有する風呂水吸水ポンプが使用されていることを明らかにしたものと認められる。しかしながら、気水分離室を有する風呂水吸水ポンプの作用については、従来のこの種ポンプと同様であること以外は記載されておらず、特に、風呂水吸水ポンプの設置個所の特定に関連した作用についての記載は全くないから、特許明細書【0013】欄の記載Aに示される「気水分離室を有する本構成によりはじめてそれ(トップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機)が可能になった」という点について、当初明細書に開示があったとすることはできない。

   ウ 原告は、当初明細書は、その【0011】欄において、「風呂水吸水ポンプの設置個所」を提案しているものであり、その課題を気水分離室を有する構成により達成していることは、明細書の実施例及び図面の記載から明白である(【0061】【0063】欄及び図1〜図4)、と主張するが、上記記載箇所や実施例に関する他の記載箇所を参照しても、「風呂水吸水ポンプの設置個所」の提案と、実施例の気水分離室を有する風呂水吸水ポンプの構成とが、相互に関連を有するものであることは記載されておらず、また、両者の関連を示唆する記載も見出すことができない。
 さらに、「気水分離室を有する本構成によりはじめてそれ(トップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機)が可能になった」という点については、上記イで検討したとおり、当初明細書では風呂水吸水ポンプの設置個所と気水分離室を有する風呂水吸水ポンプとの関連が全く不明であるから、当初明細書に、気水分離室を有する風呂水吸水ポンプを使用したことにより、トップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機が可能になったことが開示されていると認めることはできない。

 なお、当初明細書の【0007】欄ないし【0010】欄が、呼び水タンクを有するタイプの風呂水吸水ポンプのみならず、呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプであっても、風呂水吸水ポンプを洗濯機のトップカバー内に組み込んだものは実現・提案されていないことを示すものと認められることは前示のとおりであるところ、気水分離室を有する風呂水吸水ポンプは、呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプである。そうすると、当初明細書には、気水分離室を有する風呂水吸水ポンプであっても、ポンプを洗濯機のトップカバー内に組み込んだものは実現・提案されていないことが示されていると解する余地があり、この観点からすれば、なおさら、気水分離室を有する風呂水吸水ポンプであればトップカバー内に自動吸水ポンプを組み込んだ洗濯機が可能になるという事項が当初明細書に開示されているということはできない。
 (5)以上(3)、(4)に認定したところによれば、特許明細書の【0013】欄に係る記載@及びAは、当初明細書に記載した事項の範囲内のものとは認められない。

 3 新規事項について
 以上2の認定を前提として、本件補正が当初明細書に記載された事項の範囲内においてしたものかどうかを検討する。
 (1)当初明細書の記載
 当初明細書(甲第4号証)には、次の各記載が認められる。
    【特許請求の範囲】【請求項1】 洗濯槽内の最高水位よりも高い位置でトップカバー内に給水電磁弁、その他の電気部品を納め、かつ風呂水吸水ポンプを備える全自動洗濯機において、前記トップカバー内に風呂水吸水ポンプを内蔵したことを特徴とする全自動洗濯機。
    【0011】本発明は、風呂水吸水ポンプの設置個所を特定したものであって、その目的とするところは、従来に比べてポンプの配管ロスが少なく、コストの低減化を図ることができ、しかもポンプの耐湿性を向上させてポンプモータの経年劣化を極力少なくし、ポンプモータの長寿命化を図ると共に、従来に比べてコントローラとポンプ間の配線引廻しを短くしてその合理化も図れ、しかも使い勝手の点でも従来に比べて優れた風呂水吸水ポンプ付の全自動洗濯機を提供することにある。

    【0012】【課題を解決するための手段】前記目的を達成するため、請求項1に記載の発明は、洗濯槽内の最高水位よりも高い位置でトップカバー内に給水電磁弁、その他の電気部品を納め、かつ風呂水吸水ポンプを備える全自動洗濯機において、前記トップカバー内に風呂水吸水ポンプを内蔵したことを特徴とするものである。
    【0027】【作用】そして、請求項1に記載の発明によれば、トップカバー内に風呂水吸水ポンプを内蔵することにより、ポンプを洗濯機の下方に設置する場合に比べてポンプと洗濯槽開口部間の配管長を短くすることができ、その分コストの低減化を図ることができる。
    【0028】また、トップカバー内に風呂水吸水ポンプを密閉状態で内蔵することにより、ポンプの耐湿性を向上させてポンプモータの経年劣化を極力少なくし、ポンプモータの長寿命化を図ると同時に、騒音低減の点でも効果的である。

    【0029】さらに、トップカバー内に風呂水吸水ポンプを内蔵することにより、ポンプを洗濯機の下方に設置する場合に比べてコントローラとポンプ間の配線引廻しを短くしてその合理化も図ることができる。
    【0092】【発明の効果】以上本発明によれば、従来に比べて風呂水吸水ポンプの配管ロスが少なく、コストの低減化を図ることができ、しかもポンプの耐湿性を向上させてポンプモータの経年劣化を極力少なくし、ポンプモータの長寿命化を図ると共に、従来に比べてコントローラとポンプ間の配線引廻しを短くしてその合理化も図れ、しかも使い勝手の点でも従来に比べて優れた風呂水吸水ポンプ付の全自動洗濯機を得ることができる。
 (2)上記記載によれば、当初明細書に記載された発明は、ポンプの配管ロスが少なく、コストの低減化を図ることができ、ポンプモータの長寿命化を図る等を目的とするものであって、風呂水吸水ポンプの種類を特定することなく、トップカバー内に風呂水吸水ポンプを内蔵した全自動洗濯機とすることにより、ポンプを洗濯機の下方に設置する場合に比べて配管長を短くすることが可能となり、目的を達成することができるものであると認められる。

 そして、これまでの検討によれば、当初明細書には、実施例として気水分離室を有する風呂水吸水ポンプを使用する例が記載されているが、呼び水タンクを有するタイプの風呂水吸水ポンプのみならず、呼び水タンクを不要とした風呂水吸水ポンプであっても、ポンプを洗濯機のトップカバー内に組み込んだものは実現・提案されていないことが示され、トップカバー内に風呂水吸水ポンプを内蔵するための要件は開示されていないのであるから、出願当初においては、「気水分離室を有する風呂水吸水ポンプ」が、風呂水吸水ポンプの設置個所に関連して、如何なる作用効果を奏するものであるかについて記載ないし示唆がされていなかったことは明らかである。
 (3)これに対して、特許明細書(甲第2号証)の請求項の記載によれば、本件発明は、「気水分離室を有する風呂水吸水ポンプ」を構成要件とするものであり、本件補正により特許明細書【0013】の記載@及び記載Aが加えられたことによって、「気水分離室を有する風呂水吸水ポンプ」との構成要件が風呂水吸水ポンプを洗濯機のトップカバー内に組み込むことを可能にするという作用効果を奏することになる。

 (4)特許明細書の【0013】欄の記載@及び記載Aが当初明細書に記載した事項の範囲内のものでないことは先に2(3)ないし(5)で検討し判断したとおりである。そうすると、本件発明の構成要件である「気水分離室を有する風呂水吸水ポンプ」は、【0013】欄の記載@及びAによって、当初明細書に記載も示唆もされていなかった作用効果を奏することになり、その構成要件の有する技術的意義が新たに付加されることになるから、【0013】欄に係る補正は、本件発明を当初明細書に記載した事項の範囲を超えて変更するものであるといわざるを得ない。
 
 4 以上のとおり、本件補正のうち特許明細書の【0013】欄に係る補正は、当初明細書に記載した事項の範囲内においてされたものではないから、他の補正事項について検討するまでもなく、本件補正は17条の2第2項に規定する要件を満たしていない。そして、本件訂正請求は、特許請求の範囲を訂正するもので、明細書の詳細な発明欄の上記【0013】の記載をそのまま残すものであるから、訂正によって上記補正の瑕疵がなくなるものではない。

 したがって、本件特許出願は、登録査定前にした補正において、特許法17条の2第2項の規定により準用する同法17条2項の規定に違反する補正がされているものであり、訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明が特許出願の際独立して特許を受けることができるものではないから、本件訂正の請求は126条3項の規定に適合しない。
 してみれば、審決のした進歩性の判断の当否(取消事由2、3)について検討するまでもなく、本件訂正審判請求を成り立たないとした審決は正当であって、原告の請求は理由がない。
 よって、原告の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

       東京高等裁判所第18民事部


         裁判長裁判官    永  井  紀  昭


           裁判官   塩  月  秀  平


                     裁判官   古  城  春  実