医薬品特許における「解離シュウ酸」は「緩衝剤」には当たらないとして、イ号は、技術的範囲外と判断されました。
(1) 本件発明2における「緩衝剤」は,添加されたシュウ酸またはそのアルカ
リ金属塩をいい,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸は「緩衝
剤」には当たらないと解することが相当である。理由は以下のとおりである。
(2)ア 化学大事典2(乙13)によれば,「緩衝剤」とは,「緩衝液をつくる
ために用いられる試薬の総称」をいうものとされている。そして,広辞苑
第六版によれば,「試薬」とは「実験室などで使用する純度の高い化学物
質」であるところ,解離シュウ酸が「純度の高い化学物質」である「試薬」
に当たるとは考えがたいから,解離シュウ酸は一般的な意味で「緩衝剤」
とはいえないというべきである。
イ 次に,本件明細書2の段落【0022】には,「緩衝剤という用語は,
本明細書中で用いる場合,オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより
望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオD
ACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸
性または塩基性剤を意味する。」と記載されている。
上記記載において,「緩衝剤」は,「酸性または塩基性剤」であると定
義されているが,広辞苑第六版によれば,「剤」とは「各種の薬を調合す
ること。また,その薬。」を意味するから,「酸性または塩基性剤」は,
酸性または塩基性の各種の薬を調合した薬を意味すると考えることが自然
であるところ,解離シュウ酸は,「各種の薬を調合した薬」に当たるとは
いえない。
ウ そして,本件明細書2の段落【0013】後段ないし【0016】には,
オキサリプラチンが水性溶液中で分解してジアクオDACHプラチンを不
純物として生成することが記載されているが,オキサリプラチンが分解す
ると,次の式のとおり,シュウ酸イオンとジアクオDACHプラチンが生
じる。また,証拠(乙39)によれば,分解により生じたシュウ酸イオン
は,一部がプロトン化されてシュウ酸又はシュウ酸水素イオンになること
が認められる。
したがって,オキサリプラチンの分解によりシュウ酸イオン等が生じた
ということは,すなわちオキサリプラチン水溶液において不純物が生じた
ことを意味するから,仮にオキサリプラチンの分解により生じた解離シュ
ウ酸が「緩衝剤」に当たるとすると,緩衝剤が防止すべき分解により生じ
たものが緩衝剤に当たるということになってしまい,上記イの「望ましく
ない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプ
ラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得る」という緩衝剤の定
義と整合しない。
エ 前記3(2)のとおり,本件発明2は,乙14発明よりも不純物が有意に少
ない,より安定なオキサリプラチン溶液組成物を提供することを目的とす
るものである。
ところが,本件明細書2をみると,実施例18において生成される不純
物の量と比較して,シュウ酸を添加した実施例(ただし,実施例1及び8
を除く。なお,実施例1及び8は,後記(3)エのとおり,本件発明2の技術
的範囲に含まれる実施例ではない。)において生成される不純物の量は有
意に少ないことが示されている。ここで,実施例18は,豪州国特許出願
第29896/95号(1996年3月7日公開)に記載されている水性
オキサリプラチン組成物であるが,上記出願は,乙14発明に対応するも
のであるから,実施例18は乙14発明と実質的に同一であると推認され
る。
したがって,本件発明2は,乙14発明とは異なり,オキサリプラチン
溶液組成物に緩衝剤を添加したことによって,不純物が少なく,より安定
な溶液組成物を提供することができたことを特徴とする発明と考えるのが
自然である。
オ 本件明細書2には,実施例1ないし17については,シュウ酸が付加さ
れていることが明記されている。また,本件明細書2(段落【0039】,
【0041】〜【0045】,【0047】,【0064】)では,実施
例1ないし17について,添加されたシュウ酸のモル濃度が記載されてい
るが,解離シュウ酸を含むシュウ酸のモル濃度は記載されていない。
さらに,本件明細書2は,「緩衝剤」である「シュウ酸」に,オキサリ
プラチンが分解して生じた解離シュウ酸が含まれることを示唆する記載は
ない。
この点に関して原告は,構成要件2Gの数値範囲の下限(5×10−5M)が,本件明細書2記載の実施例1及び8で示された下限(1×10−5M)
よりも大きいことをもって,請求項1は解離シュウ酸を考慮したものであ
ると主張するが,本件明細書2には,1×10−5Mのシュウ酸を添加した
オキサリプラチン溶液中のシュウ酸イオン等のモル濃度がどの程度になる
かに係る記載は何ら存在しておらず,原告の上記主張は裏付けを欠く独自
の見解というほかない。
以上からすると,本件明細書2の記載においては,解離シュウ酸につい
ては全く考慮されておらず,緩衝剤としての「シュウ酸」は添加されるも
のであることを前提としているというべきである。
カ また,本件明細書2における実施例18(b)に関する記載をみると,「比
較のために,例えば豪州国特許出願第29896/95号(1996年3
月7日公開)に記載されているような水性オキサリプラチン組成物を,以
下のように調製した」(段落【0050】前段),「比較例18の安定性」
「実施例18(b)の非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物を,40℃で
1ヶ月間保存した。」(段落【0073】)といった記載がある。そして,
前記エのとおり,豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月
7日公開)は乙14発明と実質的に同一であるから,上記各記載を総合す
ると,実施例18(b)は,「実施例」という用語が用いられている部分
が多いものの,その実質は本件発明2の実施例ではなく,本件発明2と比
較するために,「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」,すなわち,緩
衝剤が用いられていない従来既知の水性オキサリプラチン組成物を調製し
たものであると認めるのが相当である。
そうすると,本件明細書2において,緩衝剤を添加しない水性オキサリ
プラチン組成物に関する実施例18は,本件発明2の実施例ではなく,比
較例として記載されているというべきである。
キ さらに,証拠(乙64,65)によれば,本件特許2の出願人が,本件
特許2に対応する米国特許出願(乙64)について,米国特許庁に提出し
た意見書(乙65)において,「甲等の水溶液組成物(本願21頁に記載
されている甲等の組成物(比較例18)についての安定性データを参照)
において見出されるよりも有意に少ない量でこのような不純物を生成する
オキサリプラチンのより安定な溶液組成物が,オキサリプラチンの溶液組
成物に有効安定化量の緩衝剤を加えることにより得られることを,出願人
は予想外にも見出したのである。」などと記載し,緩衝剤が添加されるものであること及び実施例18が比較例であることを前提とした主張をして
いたことが認められる。
また,証拠(甲36)によれば,本件特許に対応するブラジル特許出願
に関し,出願人が,ブラジル特許庁に提出した拒絶処分に対する不服申立てにおいて,「本願発明にあるシュウ酸を緩衝剤として加えれば,不純物
が発生しないということである。」と,緩衝剤を添加する旨の主張をして
いたことが認められる。
これらのことは,本件発明2においても,緩衝剤とは添加されたものに
限られると解されることの裏付けとなる事実であるというべきである。
◆判決本文
関連事件(同一特許、異被告)です。
◆平成27(ワ)28699等
◆平成27(ワ)29001
◆平成27(ワ)29158
同一特許の別訴事件で、1審(平成27(ワ)12416号)では技術的範囲内と判断されましたが、知財高裁はこれを取り消しました。
◆平成28(ネ)10031